現在、日本で栽培されているねぎの原産地は、中国の西部地方と推測される。ねぎは「葱」という字が用いられてきたが、この「葱」は中国では山海経や礼記に記され、これが今日のねぎと同じとすると、2200年位前頃からすでに知られていたことになる。名称の起こりは、ねぎは臭気が強いという意味から古名を「気(き)」といい、「気」の一字名称のため「ひともじ」とも称された。後に根の白く伸びるところから「根ぎ」になり、また「根深」ともいわれるようになった。
白根の長ねぎは中国北部で、葉ねぎは南中国で生まれた。元来ねぎは、温帯の野菜だが、耐寒耐暑性ともに強いため中国では各地で作られており、太ねぎ、葉ねぎとその中間の兼用種の3群に大別される。これらがわが国のそれぞれの地方に導入されて土着し、今日の加賀群、九条群、千住群として分布するに至ったと思われる。
加賀群は、夏は成長するが冬は成長が止まり、葉身は枯れ、休眠状態で冬を越す。北陸、東北、北海道など寒地で多く栽培されている。九条ねぎ群は、青ねぎ・葉ねぎともいわれ、冬も成長する冬ねぎで関西で多く栽培されている。千住ねぎ群は両者中間型の根深ねぎ(白葱)で、関東などの東日本で多く栽培されている。
このように、ねぎは3群に大別されるが、地名をつけて、その地方特有の産物として引き継がれてきた伝統種も、各地に多く見られる。
以上、ねぎの歴史と栽培状況に引き続き、ねぎの作型、病虫害、ねぎの生産概況など、ねぎ全般について講義があり、その後、内田先生の管轄、板東市JA岩井管内におけるねぎおよび野菜生産・販売のご紹介があった。
|