ダイコンは、地中海沿岸または中央アジア周辺地域を原産地とするといわれており、まだ定説はありません。エジプトのピラミッド建設に従事した労働者がタマネギ・ニンニクなどとともに食べていた、という記録が残されているほどその歴史は古く、古代から栽培されている野菜です。現在、世界のダイコンは、大別してヨーロッパダイコン、中国ダイコン、日本ダイコンの3つに分けられます。
日本へは、シルクロードを経て中国から朝鮮半島を経由して渡来したとされ、万葉集などでは、春の七草のひとつ「スズシロ」という古名で歌われています。ダイコンは日本各地に分布し、その土地の風土に適合した品種となっていきました。現在でも、数多くの地域的な品種がみられます。
「三浦ダイコン」については、相模風土記(1841年)に、「円坊村の名主から“ねずみダイコン”が徳川家に献上された」との記録があり、明治に入ってから、風土記に書かれた円坊村の名を取って“円坊ダイコン”と呼ばれていましたが、自家利用がほとんどでした。1902(明治35)年以降に、当時の農会職員が、東京で栽培されていた練馬系ダイコンなどとの交雑改良を試み、形状の改良選抜がされ、1925(大正14)年に、三浦産のダイコンを正式に「三浦ダイコン」と命名しました。農家自らの品種改良とともに栽培面積、販売量も増え、昭和に入ると、「冬のダイコンは三浦でなければ!」と、関東の市場から評価されるようになり、半世紀に渡って関東の市場で冬ダイコンの王者としての地位を保ち続けました。しかし、青首ダイコンが登場し、またたく間に全国の市場を占有するに至りました。さらに、昭和54年に大型台風にみまわれたこともあって、50年代終わりには青首ダイコンにとって代わられ、「三浦ダイコン」の出荷量は全体の1%に満たない数量になりました。現在では、年末を中心に販売されています。
三浦市は三浦半島の最南端に位置する人口5万人ほどの地域です。三方を海に囲まれた海洋性気候で、地形は起伏に富み、南部では無霜地帯もある温暖な気候を活かしたダイコン、キャベツ等の露地栽培中心の農業が盛んです。栽培面積に比して収穫量が多い理由は、土作りに重点を置き、牛糞を使用した堆肥小屋による有機肥料作り、7〜8月は土壌診断をし、畑の条件を良くして、畝間作を利用した効率よい耕作を試みています。植え付けはシーダーテープを使った播種方法を採用して形状のバラツキを防ぎ、品種の統一をはかりかつ、食生活の多様化に対応、用途別にダイコンを作り分けています。
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