現在22品目。種は30以上あることを確認しているので、流通し始めたら加えていこうと思っています。
江戸東京野菜には物語があります。慶長8年、徳川幕府が開かれ、幕府は参勤交代を各地の大名に課しました。大名たちは、加工品は江戸に持ってこられますが、新鮮野菜は無理です。1630年代、大名たちは参勤交代の際に野菜の種を江戸に持ってきて、栽培を始めました。江戸に全国の種が集まったわけで、これは江戸ならではのこと。
享保年間の江戸は100万人を抱える世界一の大都市で、お城の周りには数々の栽培地があり、すでに促成栽培も行われていました。江戸のみやげで大事なのは「種」で、中山道には種屋街道ができ、練馬大根、滝野川にんじんや滝野川ごぼう、三河島菜などの種が各地に持ち帰られました。山形・庄内の記録にも練馬大根があり、庄内の干し大根になっています。練馬大根にはいろいろなタイプがあり、三浦大根、信州の前坂大根、鹿児島・指宿の山川大根も、練馬大根が元になったもの。今はF1種になって復活した世田谷の大蔵大根もそうです。
◆野菜の学校で各地の伝統野菜との共通点を知る
東京郊外の檜原村に「おいねのつるいも」という小さなじゃがいもが残っています。種は花嫁道具の一つでもあったようで、それを栽培し、料理して食べさせることで、花嫁の嫁ぎ先での居場所作りに役立ったのです。現在でも急傾斜地でいもが作られています。
当地の大正13年生まれのおばあさんによると、何代か前のおいねさんという女性が山梨県都留郡から嫁いできて、このいもが奥多摩に伝わったとか。ねぎみそをつけて、とてもおいしくいただきました。
このいもは、野菜の学校で昨年、信州の伝統野菜が紹介された際に聞いた話と同じで、群馬や埼玉にも残っているようです。
◆続々復活する江戸東京野菜
江戸東京野菜について、もう少し説明しておきましょう。
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