<講義より>
京野菜は産地の規模が小さいために国の補助が受けにくく、京都府として振興に取り組まざるを得ませんでした。そのために作ったのが「(社)京のふるさと産品価格流通安定協会(略称:京のふるさと産品協会)」で、発足は昭和47年にさかのぼります。
実際、京野菜は川沿いの階段状の畑で作られていることが多いもの。狭く、経営規模が小さいため、質で補ってコストを上げないと生産者の生計が成り立たないという特有の事情があります。また「京野菜」という名称自体、一般名称であるため、例えば他地域で栽培された水菜を京野菜としても違法にはなりません。こうした状況から、京野菜のブランドを確立するためには、対象品目を絞り込み、栽培方法や出荷規格を厳格にする必要がありました。
伝統野菜の基準は各地で異なり、一般には昭和20年以前から栽培されていたものですが、京都は明治以前、江戸から栽培されていたものを「伝統野菜」と位置づけています。こうした伝統野菜は京の都で選りすぐられたものが多い一方、以下の短所も抱えています。
- 病気に弱く、収量が上がらない
- 出回り期に特徴がない
- 日持ちしない
- 作りにくく、栽培に手間と熟練技術を要する
- 自家採種のため、産地としての斉一性に欠ける
こうした短所のために、戦後、様々な品種が種苗会社から出されるようになると、例えば山科なすなどは千両なすにとって代わられ、栽培されなくなりました。京都大学の高嶋四郎先生はこのままでは京野菜がなくなると憂い、昭和50年、遺伝資源として種子保存に乗り出したのが振興の契機になりました。京都の瓢亭や菊乃井などの料亭が「京野菜あってこその京料理」ということで支えてくれ、さらに有識者や料理人の方々が「京野菜を復活させよう」とシンポジウムを開くなどの応援があり、以後、経済界や文化人も一緒になって京野菜の復活に取り組む流れができたのです。グルメブームも追い風になりました。
平成になって本格的に京野菜のブランド推進事業がスタートしました。とはいえ、京野菜は、量においても産地においても独立性も優位性もなかったので、試行錯誤でした。今では普通になっている水菜の若採りを袋詰めしたものも、その頃の発案です。最初は非難ごうごうでしたが、軸のシャキシャキしたおいしさを生かしてサラダで食べる提案が、CMで一気に人気になりました。
平成5〜6年までは品種へのこだわりが主で、栽培はあまり問題にしなかったのですが、知事が替わり、15代300年以上続く代々の篤農家・樋口昌孝氏の野菜に対する考え方の影響で、生育環境・栽培法も重視するようになりました。樋口氏は、野菜を作るのは土、その土を作るのが生産者の仕事であるという信条の持ち主です。現在、生産者は、農薬・化学肥料はなるべく少なく、土作りをきちんとする栽培を進めており、栽培履歴を記帳して、それを農協中央会の検査員がチェックする体制をとっています。
京野菜は、かつてに比べれば、京市民もあまり苦労せずに手に入るようになっています。作るだけでなく、食べてもらわなければなりません。京野菜は煮物材料が主ですが、女性が忙しくなってなかなか煮物料理をしなくなっていると聞くので、料理のレシピも提案しています。
京野菜の振興は、京都の農業にもよい影響をもたらしています。この20年間の農業産出額を見ると、全国平均では20%以上も減っているのに、京都は9%の減にとどまり、野菜に限れば、全国は4,5%減に対して京都は13%以上増になりました。
健康にもよいというデータも出てきました。ミネラルなどの栄養価に富み、発ガン抑制成分であるイソチオシアネートなど、機能性物質を多く含むというものです。辛みや臭いが強い野菜が元々もっていた成分を、品種改良の結果、最近の野菜は失いがちだそうで、伝統野菜である京野菜にはそれが豊富だというのです。
「京野菜は高い」と言われますが、こうした様々な背景の中で成り立たせていることを、ぜひご理解いただければと思います。
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●スタッフである管理栄養士の松村眞由子氏からは、京野菜の普及は水菜からというお話がありました。また、竹の子のゆで方についての諸説を試した結果、皮つきで「ぬかととうがらし」を加えた一般的なゆで方が、最もうま味成分が逃げにくく、白くゆであがるようだとの所感が述べられました。竹の子の皮の中の亜硫酸塩が竹の子をやわらかく、白く、おいしくし、ヌカのでんぷんやカルシウムが竹の子のエグミを除き、とうがらしを入れることで、エグミを感じにくくしたり、腐りやすいヌカの防腐効果ももつのでは、とのこと。「昔の人の知恵はすごい」と改めて感じ入ったそうです。
●調理担当の領家彰子氏からは、「京都産の竹の子が最も早くゆであがって40分、他地域産は1時間くらいかかった」との報告がありました。
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