<講義より>
加賀野菜は元々、京都に京野菜があるなら、金沢に相応のものがないのはおかしいと、京野菜に対抗してスタートしたもので、1991年に「加賀野菜懇話会」を発足させました。ところが、京野菜は京都「府」が主体で進めているのに対し、加賀野菜は、石川「県」ではなく金沢「市」が主体にならざるを得ません。それに、イメージ戦略上、当初から加賀野菜と命名していたのですが、この「加賀」という名は、かつての藩政の頃から小松方面を指し、金沢は実は加賀ではないのです。1995年に、金沢市長自筆ののれん「いいね金沢加賀野菜」を市内青果店230店に配布するに当たって、金沢市が主体である以上「金沢野菜」とすべきという市長と何度も交渉し、どうにか「加賀野菜」と命名することができました。
次いで、加賀野菜の規格は、昭和20年以前から栽培され、主として金沢市内で作られている野菜としました。それまでは単なる「金時草」だったのが、金沢で作るなら「加賀野菜の金時草」になったわけです。行政は、追って1995年に金沢市農産物販売促進検討委員会を、1996年には金沢市農産物ブランド協会を発足させ、シンボルマークのシールを貼ってアピールすることになりました。
加賀野菜の復活によって、農業関係者の雇用だけでなく、それ以外の雇用にもつながりました。
しかし、中山間地の開発が進むにつれ、加賀野菜の栽培地の確保がきびしくなっています。例えば、セリは地下水のきれいな所でなければ育たないものですが、諸江にあったセリ畑が駐車場になってしまい、代わりの栽培地は見つからないという事態がありました。
山がなくなると風向きが変わるなど、気候風土の変化が加賀野菜の質にも影響します。犀川の畔で栽培されていたヘタ紫なすが、山を削られたことで皮が固くなったのも、気候風土の変化によるものでした。
そもそも伝統野菜は、篤農家がいなければ成り立たないものです。加賀野菜の場合、民間が行動を起こして行政が後追いになりましたが、共にがんばっていきたいと考えています。
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●この後、小畑氏から個々の加賀野菜のルーツや特性、食べ方などの紹介がありました。
●スタッフである管理栄養士の松村眞由子氏からも、各加賀野菜の使い方などの補足がありました。
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