大竹道茂氏は、1989年よりJA東京中央会にて江戸東京野菜の復活に取り組まれ、江戸東京野菜ゆかりの地の説明板設置(都内50カ所)に尽力。江戸東京野菜の発展のために多彩な活動をなさっています。メディア出演・講演・執筆に精力的なだけでなく、アイディアいっぱい、フットワーク軽く各地に出向かれる氏の地脈・人脈の広がりが、江戸東京野菜のめざましい発展につながっているようです。そんなご活動と江戸東京野菜復活の一端を、巧みな映像も交えてご紹介いただきました。
<講義より>
平成になって、各地で伝統野菜がなくなる傾向が見られるようになっていましたが、東京も同じでした。復活の大きなきっかけは、2006年に日本料理業組合の会長で日本橋の料亭「日本橋ゆかり」の野永喜一郎氏が、「東京の料亭の7割が京風の味になっている。江戸には江戸の味があるのでは?」と危機感を訴え、「江戸東京野菜を日本橋から発信したい。そのためにもっと積極的に生産してほしい」と、私たちに持ちかけてきたことでした。それまで、農家にしてみれば、作っても売れるかどうかがネックだったので、野菜を使う料理サイドからのアプローチはとても心強いものでした。これをメディアが取り上げ、日本橋から江戸東京野菜をブランド化しようと、一気に機運が盛り上がったのです。
江戸東京野菜のそもそもは、慶長8年、江戸に幕府が置かれ、尾張から徳川氏が移ってくるに際して、百姓も同行し、農産物の生産が始まったことにさかのぼります。全国各地の大名も、参勤交代で江戸住まいを余儀なくされていましたから、同様に百姓を呼び、国元から種も持ってきて、栽培を始めました。江戸の気候風土に合う品種改良もされ、江戸100万人都市は田園都市でもあったのです。
魚のアラを利用した肥料が作られたり、人より少しでも早く食べたい江戸っ子のために促成栽培も行われていました。
他方、江戸の作物の種を全国に持ち帰るため、巣鴨から中山道に種屋街道もできました。練馬大根の種は、北は庄内の漬け物用大根に、南は壱岐まで行っています。
江戸東京野菜には、1つ1つに物語があります。
各地で江戸東京野菜が見直されるきっかけになったのは、ゆかりの産地に立てた説明板です。平成9年に農業協同組合法成立50周年記念事業として、私が提案し、最寄りの神社に設置されました。50本立てられており、スタンプラリーもできるようになっています。
練馬大根は、江戸で脚気を患った五代将軍綱吉が、占い師の「北西方向、馬のつく所で養生しろ」とのお告げで練馬に住まった際、地域振興のために尾張の大根の種を地元の百姓に与えたことが始まりです。火山灰地の関東ローム層では、長い作物がよくできました。滝野川にんじんやごぼうもそうです。余談ですが、当時の江戸では脚気が風土病のように広まっていました。江戸から離れれば治る…と。江戸では庶民も白米を食べていたから、要はビタミンB1不足だったのです。
練馬大根は、東京都農業試験場に残っていた細密画を調べ、固定種の種を確定して次世代につないでいます。今では、1月の旬の時季に、百貨店で人気の漬け物イベントも催されるようになりました。
新宿区の成子坂近くには、ウリ好きだった徳川家光が美濃から取り寄せて栽培させた鳴子ウリがありました。「銀まくわ」といわれていたウリで、昨年8月に種が発見され、栽培してみたところ、甘みは淡いけれども香りがいい。レストランに持ち込んで評判がよかったので、今年はもう少し栽培を増やしたいと思っています。
昨年末には、早稲田大学の学生たちが「早稲田みょうが捜索隊」を作りました。田山花袋が、早稲田界隈にみょうが畑があったことを記載しているのです。大隈講堂の前にあった大きなモニュメントは、実はみょうがだったこともわかりました。若い人も参加して、なかなか面白い活動になるのではと期待しています。
新小岩にある香取神社には、江戸東京野菜の小松菜の発祥の地であることが謳われています。五代将軍綱吉が鷹狩りに訪れた際にふるまった椀に、青菜が入っており、それを気に入った綱吉が、その地の名をとって小松菜と名付けたというもの。伝統小松菜は後関晩成という品種ですが、成長するにつれて外葉が寝ていくために束ねにくいことから、最近は青梗菜との交配種が増えていたのです。
足立のつまものも歴史のある高級食材です。むらめ、あゆたで、芽ねぎ、木の芽、つる菜など、いわば日本のハーブで、1年中収穫できるように工夫され、ハサミで収穫する大変繊細なものです。
八王子など東京郊外で栽培される軟白うども、すばらしい江戸東京野菜です。穴蔵の中での栽培法が知られますが、あれは、ちゃんと畑で花を咲かせ、霜に当たって枯れるところまでもっていって、根を休眠させておくからできること。休根を保冷庫に貯えておき、温度管理を正しくすれば、1年中いつでも出荷できるようになっています。
奥多摩わさびもあります。東京にも2,000m級の雲取山があり、そのふところにあるわさび畑で育てられています。大きな葉付きで出荷すると映えるので、ディスプレイにもいいのではないでしょうか。
江戸東京には小笠原や三宅、八丈などの亜熱帯に近い島々もあり、八丈オクラ、あしたばなどの個性的な野菜が栽培されています。あしたばはハンノキのそばでよく成長するとは現地で聞いていたことですが、焼き畑では4年目になるとハンノキを植えてチッ素を固定化すると、先日、知りました。その後、八丈や三宅ではかつて焼き畑が行われていたことがわかるなど、思わぬ発見もありました。
最後に、今日の食べくらべのテーマである寺島なすです。これは元々は蔓細千成(つるぼそせんなり)という在来種で、かつて墨田区の寺島界隈が早生なすの産地として知られていたのです。そこで、農業生産物資源研究所に保存されていた種を手に入れ、小金井のなす作りの名人である星野直治さんに作ってもらいました。そして料理人の方たちに試食してもらったところ、「しっかりした果肉と香りがある」との評価で、塩もみ、焼きなす、素揚げとも好評でした。本来は鶏卵大くらいがちょうどよい大きさなのですが、レストランなどでは、もう少し大きくても味は変わらないと要望されています。大きくなると色が少しぼけるのが残念ですが。この寺島なすは、墨田区の寺島小学校で栽培から食育教材に取り上げられるなど、今では大活躍しています。
他にもまだ江戸東京野菜はいくつもあり、それらにこだわった料理を提供したいと、フレンチの三国清三シェフが丸の内のレストランでメニューを売り出すなど、都内のレストランや料理屋サイドの動きもますます広がってきています。
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●この後、スタッフである管理栄養士の松村眞由子さんからも、各江戸東京野菜の使い方などの紹介がありました。「わさびは衝撃を与えると辛みを増すので、すり下ろした後に砂糖ひとつまみと熱湯を入れ、ふたをして2〜3分おくといい」「あしたばは苦みやアクがあるので、ごまあえやみそあえなど、たれもパンチを効かせるといい」「八丈オクラは沖縄の島オクラ同様、大きくなっても食べられる」「馬込半白きゅうりは、漬け物にすると歯切れのよさと香りが生きる」等々。
●野菜搬入担当スタッフである高橋芳江さんからは、当日朝に足立のつまもの農家を訪ね、入荷してきた報告を。つまものは、手入れの行き届いた実にきれいな畑で丁寧に栽培されており、それでも商品にするいいものはほんの少しという贅沢さだそう。バブルがはじけて後は需要が減り、経営はなかなかきびしいとも聞きました。つまものとしてだけでなく、使い途を広げる案を期待しているそうです。
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