でも最も大きな違いは、商業品種は「モノ」としての役割ですが、在来作物は、それに加えて、その地域固有の歴史や文化、栽培や利用法などの情報を伝えるメディアとしての側面をもっているということです。在来作物の種がなくなれば、その地の文化も消えてしまいます。この重要性をしっかり受けとめなければいけないと考えています。
さて、山形県は庄内、最上、村上、置賜の4つの地方に分けられ、庄内でも、最上川を境に北庄内と南庄内では在来作物が変わります。在来作物としては64種を数えていましたが、最近さらに発見されて75種になりました。その内、南庄内では31種、北庄内では9種で、南庄内にいかに偏っているかがわかります。その原因として、私は次のように考えています。
酒田市などがある北庄内は、水利がよいために稲作が盛んになり、よく売れる商品としての作物が選抜されていきました。ところが南庄内は、まず自分たちが食べるものを優先せざるを得ない環境だったために、在来作物がそのまま残っていたのではないでしょうか。
なぜその地にその作物があるのでしょうか? いくつかの庄内在来作物を例に考えてみましょう。
まず、食べ物を飢饉に備えて安定的に確保したいという理由または楽しみを分かち合いたいという理由があるように思います。そして、その地の利を生かしながら伝えてきたのでしょう。
■紫折菜・かつお菜・赤ねぎ
例えば、酒田市にだけ残っている紫折菜という春先の貴重な葉物があります。高名な農学者である青葉高先生の『北国の野菜風土誌』によれば、昭和10年頃に中国から伝わったものらしい。酒田にはかつお菜もあります。
酒田市は、砂丘地があり、側を暖流が流れ、防砂のための松林もあり、一番先に春が来る地域です。人々はこの砂丘地を利用して、茎立ち菜や漬け菜、あさつき(きもと、ひろっこ)などを栽培してきたのです。砂丘地の人たちにとって、今のように栽培に地下水が使えない頃には、夏は植物が枯れてしまうため、春先が野菜栽培の勝負だったことでしょう。
地の利と作物の例では、ねぎがあります。中国から伝わったねぎが、西日本では葉ねぎとして青い部分を食べるのに対し、東日本は白い部分を食べます。寒い地では青い部分は固くて食べられないことから軟白栽培が発達したのです。滋賀が葉ねぎと根深ねぎの境といわれています。庄内には平田の赤ねぎという、一本ねぎに近い、やわらかい在来のものがあり、関西から伝わったといわれていますが、両方の特性をもっているのかもしれません。
■民田なす・萬吉なす
寒冷地は小なす系が多くなります。それは、栽培が7月中旬〜9月中・下旬と短期間なので、長なすでは途中から固くなってしまうからで、成長期間が短い超早生の小なす栽培が適していたのです。小なすである民田なすは江戸末期にはすでに栽培されており、1700年以前には外内島なすと呼ばれていたようです。芭蕉の有名な句にある「初なすび…」は民田なすのことだと思われます。
在来の大きななすとしては、300〜400gもある萬吉なすがあります。皮は薄くやわらかく、実がしっかりしているおいしいなすですが、ただ一軒の農家が家宝として守ってきたものです。
■小真木大根、ハマ大根
庄内の在来大根としては6種あったのですが、その内の三八大根、鵜渡川原大根、豊栄大根の3種は絶滅してしまいました。小真木大根はハリハリ漬けやたくあん漬けとして、野生のハマ大根は選抜してピリカリ大根という名前で出ています。
大根は中国で分化して伝わったもので、山形の在来種は華北大根の系統。江戸時代には全国に「産物帳」がありましたが、1700年頃の庄内では全国に流通していた多種の大根が栽培されていたと記録されています。明治時代には黒大根も栽培されていたそうです。
■外内島きゅうり、鵜渡川原きゅうり
きゅうりの伝わり方には華北系と華南系の二系統あり、全国の在来きゅうりは両方の血が入ってどちらかが強いのです。鶴岡市の外内島きゅうりは華南系、酒田市の鵜渡川原きゅうりはシベリア系で苦みが強く、ヨーロッパのピクルス用きゅうりに似ています。
■庄内のかぶ
かぶには和種系と洋種系があり、西日本のかぶは和種、東日本のかぶは洋種の傾向があります。山形のかぶは洋種か雑種で、在来種は20種。庄内では5種ですが、その内の升田かぶは絶滅の危機に瀕している残念な事態になっています。
鶴岡市の藤沢かぶは、焼き畑で栽培する貴重なものです。焼き畑は、午前2時頃から火入れをして日の出前には完了する大変な作業。焼き畑は、森林破壊になることや二酸化炭素を排出することなどからマイナスイメージがあるかもしれませんが、火入れだけでリンやチッ素ができ、作物の成育がグンとよくなることなどから、近年、再評価されてきています。
山形では多種のかぶが栽培されており、特に温海かぶは商品性が高いことから人気です。でも、かぶは元々飢饉回避のために栽培されていた作物でもあるのです。江戸時代の宮崎安貞著『農業全書』でもかぶの効用が記されています。
凶作かどうかはお盆の頃にわかるので、それによって種をまけば、1か月で葉茎が育ち、2か月で根(胚軸)も食べられるようになり、貯蔵性にもすぐれているとのこと。成分を調べると、脂肪分を除いた100g当たりの部分カロリーではありますが、山形県の他地方には在来カブ50-70kcalのカブも見られましたが、温海かぶで30kcal、一般の金町小かぶで20kcal。さといもが50kcal、じゃがいもが70kcalなので、いもに続いて確かに準主役にはなれそうです。
ただ、かぶの辛み成分であるニトリル化合物は、実は生で一度に1kg以上も食べると腎臓に障害が出るような有害成分なのです。ところが、漬けもの加工や火を通す調理によって、それがなくなる代わりにイソチオシアネートという健康機能成分がより多くできてくることがわかりました。伝統的な食べ方にはそれなりの利があると納得できます。
最近は野菜を生で食べる傾向があります。生の酵素を体に取り入れることを期待している人もいますが、酵素はタンパク質でそのままでは吸収されず、腸壁で吸収される前にアミノ酸に分解されてしまいます。野菜は本来防御成分をもっているもので、その害を防ぐ食べ方が、伝統的な知恵としてあったことを考えるべきではないでしょうか。
■伝九郎柿
在来種の伝九郎柿は新潟から伝わった可能性があるといわれています。伝九郎は渋柿で、温湯で渋を抜く「温湯脱渋(湯ざわし)」という先人の知恵により、一晩で渋が抜けます。その味は黒砂糖の味といってもいいほどのコクのある甘さで、幻の柿とされています。
■だだちゃ豆
「だだちゃ」とは「お父ちゃん」のことですが、元々の品種は八里半といって、九里(栗)には及ばないが…と名付けられていたもの。だだ茶豆の名は明治15年前後にできたようです。一般には6系統あるとされていますが、おいしい枝豆を長期間食べ続けたいために、もっと様々な系統があります。8月中旬から下旬にかけての豆がとりわけ香ばしく、甘み、うま味が豊かですが、7月上旬から9月まで、季節の移ろいに応じた豆の食べ方があります。
■からとりいも
からとりいもはでんぷんが大変きめ細かいさといも。青茎と赤茎があり、最上川を境に北側が青茎系、南側が赤茎系になります。からとりいもは青茎で、山形田いもとも呼ばれます。庄内では200年以上も前から栽培されていたという記録があり、当時は赤茎だったとか。いもだけでなく、茎、葉、根も食べられてきました。
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こうした在来作物をこれからも活かしていくには、まず生産者、料理人、有識者(研究者)が手をつなぐことが大切です。そして、在来作物をテーマにした活動や学習を活発にしていきたい。
すでに小学校の総合学習で取り上げられたりもしています。在来作物を通して、地域に伝えられてきた歴史や文化、生きるための知恵といった知的・心的財産を見直し、次世代にぜひ伝えていきたいと思います。
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