タイトル<野菜の学校>
● 2010年度「野菜の学校」 ●
- 2010年12月授業のレポート -
【講義】

「たべものさん、ありがとう」

農学博士・元大阪府立食とみどりの総合技術センター 主任研究員
なにわ伝統野菜応援団員
森下正博(もりしたまさひろ)氏


 今、私たちが食べている野菜のほとんどは世界各地からやってきたもので、日本原産といえば三つ葉、うど、せり、ふきの4種といわれています。とはいえ、平安時代くらいまでに大半の野菜が渡来しているのは驚くほどで、追って、かぼちゃ、とうもろこしは安土桃山時代、たまねぎは明治時代というように、野菜はそれぞれいろいろな伝わり方をして、現在に至っています。古い資料には、地域の名前が付いた野菜がかなり載っています。



森下正博氏

 大阪の難波津は古代の港で、様々な文化が入ってくる窓口でもありました。淀川や旧大和川の支流が運ぶ土砂が堆積して、野菜の生産に適した土壌条件が形成され、また商業や海運が盛んだったことから全国各地からおいしいものが集まり、いわゆる食い道楽の街として栄えてきました。

 なにわ野菜に金時人参がありますが、人参はアフガニスタンあたりが原産。金時人参のようないわゆる東洋種は15〜16世紀に渡来し、木津や難波あたりが発祥の地と考えられています。洋人参のほうは明治時代にアメリカから伝わりました。

 なにわ野菜の天王寺蕪は、言うまでもなく大阪・天王寺あたりが発祥。これは白蕪ですが、赤蕪にも山形の温海蕪、滋賀の日の菜蕪など有名なものがあります。蕪は全国各地にあるものの、農学者の中尾佐助による東洋種と西洋種に分けられる「蕪ライン」がよく知られています。東洋種は葉に細かい毛があるのが特徴です。

 蕪の変わり種として、信州の野沢菜があります。これは、京都に勉強に来ていた坊さんが天王寺蕪を持ち帰って植えたものの、寒くて根が育たず、葉ばかりが伸びたもの。滋賀の日の菜蕪を伊予に持ち帰った人がいて、伊予の緋蕪になりました。

 このように、人が食べて、種を持って移動することで、野菜がその地に根付きます。所々で西洋種と東洋種が混在したりもするわけです。

 ある時、天王寺蕪とF1種の光蕪(タキイ種苗)のテクスチャーを比較したことがありました。光蕪はやわらかくサラダにも向くのに対し、天王寺蕪は皮が厚く、全体にかたい。しかし、昔の食べ方である糠漬けや塩漬けには、肉質がかたくないともたなかったから、こういう蕪が適していたのです。

 江戸時代の料理本を見ると、蕪料理が70種載っており、その内、天王寺蕪を使ったものが25種、中の2品は干し蕪といって少し水気を飛ばした蕪を使っていました。干し蕪にすることで流通が可能になったのでしょう。近江蕪を使った料理が19種ありました。

 なにわの伝統野菜としての基準は以下になります。

  1. 概ね100年前から大阪府内で栽培されてきた野菜
  2. 苗、種子等の来歴が明らかで、大阪独自の品目、品種であり、栽培に供する苗、種子等の確保が可能な野菜
  3. 府内で生産されている野菜

 現在、以下の17品目が認証されています。
 高山真菜、高山牛蒡、吹田慈姑、毛馬胡瓜、玉造黒門越瓜、勝間南瓜、金時人参、大阪しろ菜、天王寺蕪、田辺大根、芽紫蘇、泉州黄玉葱、服部越瓜、三島独活、鳥飼茄子、守口大根、碓井豌豆

 在来種は季節限定で、生産量が多くない、形も大きさもバラバラでバラツキが大きい、個性が強く、手間暇のかかる野菜…と、いわばハンディだらけのSL号のようなものです。流通に乗りにくいし、サラダ感覚でも食べられません。でも、うまく料理人とコラボできれば、生産に結びつきます。

 なにわの伝統野菜を使いこなしてもらうには、むしろ気むずかしい料理人のほうがよいのではと、大阪の著名な料理人の一人である上野修三氏に相談してみました。出された料理は、天王寺蕪をスライスして塩を添えただけのものや、あぶってステーキのようにしたもの。「こんだけ個性があったら、料理人はすることない」とのお話でした。逆にファミリーレストランで天王寺蕪らを使ってもらうと、固い皮を厚くむくので食べるところがないという反応でした。

 要は、料理人がその野菜を手にし、自分の技術とマッチングさせながら料理を作り出していくもので、料理人によって出口はいろいろあるとわかったのです。そこで、いろいろな展開をしてくれそうな料理人とのマッチングを考えました。イタリアンだったり、松花堂弁当だったり。

 市場でも扱ってもらおうとしたのですが、量が少なかったり、そろいが悪かったりで、断られました。

 生産のほうでは、例えば毛馬胡瓜は「毛馬胡瓜じゃなく手間胡瓜」と、栽培に手間がかかるとこぼされていたのですが、徐々に需要ができ、今では12〜13軒の農家で2ヶ月ほどリレー出荷ができるまでになりました。毛馬胡瓜は下のほうが種でゼリー状になっているし、上部は苦い。でも鱧の皮と合わせた酢の物などは、この苦みが酢と合わさって深みのある味わいになるのです。同様に、船場汁の大根といえば田辺大根が格別です。居酒屋などでも使わせてほしいという需要が出てくるようになりました。

 少しずつ、それぞれのなにわ野菜が地元でも見直されるようにもなってきています。

 玉造黒門越瓜という白瓜は、元々玉造稲荷神社で粕漬けにしたものをお伊勢参りの際に持っていったりしていたもの。最近、神社の境内に瓜の種をまいて栽培し、夏祭りにふるまわれるようになりました。

 勝間南瓜(こつまなんきん)は、勝間木綿が有名な地で栽培されていたもので、木綿の行商の際の土産だった1kg程度の小ぶりのかぼちゃ。「勝間南瓜祭」が開かれるようになり、冬至の日にはそれまでのえびすかぼちゃに代わって、勝間南瓜が復活しました。

 その他、天王寺蕪を干し蕪にしたものがこんぶの小倉屋で商品化されたり、なにわ野菜の漬けもの、焼酎、飴、せんべいなどが、安全・安心を象徴する「なにわ伝統野菜」の認証マークを付けて商品化されています。

 また次代に伝えていくために、子どもたちへの食育も盛んです。府内の小学校の総合学習として、田辺大根は36%、天王寺蕪は33%、勝間南瓜は6%で取り組まれています。紙芝居や絵本にもなりました。

 伝統野菜を見直す時に大切なのは、身の丈に合った取り組みをすることだと考えています。スケールに応じた展開、出口をどう作っていくか? 大阪人はこだわりが少ない土地柄なので、こうでなくてはと決めつけるのでなく、地域に根ざした復活のしかたでいい。在来種も我々もそこに生きているのですから、在来種はその地で世代を重ねていく我々の食の原点とも言えるものです。

 現在の生産・流通・消費はあまりにスケールが大きくなりすぎています。年に1、2回でもふるさとの食を食べることは、健康な心身を育むでしょうし、在来野菜を味わう経験は、ふだんスーパーで野菜を買う時の貴重なものさしになるのではと考えています。

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