一方、世界に目を転じれば、現在の69億人が、国連の人口白書によれば2055年には91億5,100万人になると推計されており、人口増が問題になっています。特に、サブサハラといわれるサハラ砂漠以南の地域の人口増が見込まれ、それは食糧需要増を意味することになります。現在でも、世界の69億人の内の10億人が飢餓状態にあります。今、手を打たないと大変なことになるのは明らかで、これからは世界の食糧生産に目を向けていかなければなりません。
<世界の食糧高騰の背景>
世界では、ブリックスといわれるブラジル、ロシア、インド、中国の4カ国が急激な経済発展をしています。人類は経済発展に伴い、穀物中心に食べていた時代から、肉や卵などのたんぱく質を効率よく摂取するようになります。豊かになると、もっとおいしいものを求めるようになるのもよくわかること。となると、飼料としての穀物需要が増え、2020年には今より2割増になるのではと推計されています。
他方、近年、環境問題、水の問題などが世界各地で深刻になり、持続可能な農業をどう成り立たせるかも問われています。
異常気象もこのところ目立っています。大干ばつや洪水で、大豆やコーヒー豆、原油の高騰が続くなど、食料事情にも少なからぬ影響をもたらしています。原油の高騰は食料の輸出入の際の輸送費、肥料の製造、温室栽培のエネルギー等々だけでなく生活への影響も大きいもの。このところのリビアをはじめとするアラブ諸国の政変拡大も気になるところです。
FAO(国際連合世界食料農業機構)による主要食料価格指数は、2002年を100とすると、今年は統計開始以来最高の231。食料がいかに高騰しているかがわかります。中国はすでにアフリカを買っていると言われるほどで、世界の食料をめぐる動きにはめまぐるしいものがあります。
■日本の食糧の現状
<大きく変わった日本の食卓>
かつて、私たちの食卓といえば、ご飯とみそ汁、おかず、それも切り干し大根やごまあえといった素朴なものと漬けもの程度だったのが、今では世界中のメニューが並ぶといってもよいほど豊かになりました。これには冷凍・冷蔵などの科学技術や流通網の進歩、さらに近年はインターネットで瞬時に食べたいものを取り寄せられるようになるなど、情報が食生活にも大きな力となっています。
こうした食生活の変貌で、昭和40年頃は73%もあったカロリーベースの食料自給率は40〜41%まで低くなりました。米の1人当たりの消費量は昭和30年代後半には118kg/年だったのが今は60kg/年。1人1日ご飯を5杯食べていたのが3杯に減ったことになります。その分、副菜が変わり、高たんぱくなものや油脂が増えました。
<食料を世界で調達することはできにくくなる>
日本の農業従事者は、現在65歳以上の割合が60.4%を占めるほど高齢化しています。これまでは、私たちが食べるものを世界各地で買ってくることができました。でも最近は中国が食料の大輸入国になり、日本は中国に買い負けすることが多くなっています。日本の消費者は質や安全・安心などにきびしいのに対し、中国はとにかく量を一気に買うそうです。
日本は、従来のように「食料が無ければ買う」というやり方が成り立たなくなってくるわけですから、産業としての農業の可能性は大きいはずです。これまでの補助金でプロテクトする農業から、きびしい規制を解除して元気な農業になってほしいと、私は考えています。近年の直売所の活況は頼もしいもので、企業もいろいろ模索しています。
■在来野菜の価値
世界の、そして日本の食の現状の中で、在来野菜の価値は科学、文化、生活と、多様な面で大きいと考えます。
<在来野菜はDNAの宝庫>
昨年、生物多様性の会議が開かれましたが、在来野菜は種の多様性という意味で、様々なDNAを持っている強みがあります。おいしいとか、収量が多いとか1つの点がすぐれた野菜にしてしまうと脆弱なものです。ある病害虫に強いと作られた野菜は、どこかでやられ始めるとひとたまりもありません。多様なDNAをもっていれば、例えば温暖化に耐えられる野菜も残るでしょう。
東北地方は元々雑穀文化ですが、いろいろなものを作っていると、冷害などがあっても何かは残って命をつなぐことができました。昔の人は環境変化に耐えて生き延びる知恵があったのではと思います。
人間だって表に出ているDNAはわずかなもので、大半は眠っています。在来野菜も同様で、どんなDNAを秘めているか、まさに宝庫ではないでしょうか。
<世界のグローバル化と在来野菜>
次いで在来野菜には、その地の人だけが食べてきたという文化としての側面があります。
昨今、世界中のどこででもマクドナルドハンバーガーが食べられるようになってきています。でも、そうなればなるほど、世界がグローバル化するほど、人はむしろローカルなアイデンティティを求めるのではないでしょうか。そのよすがとしての食文化、育った土地や食べてきたものを通して、誰かとつながっているという感覚が大切になってくるように思います。
旅人にとっては、在来野菜は新鮮な食べものになります。どこに行ってもマックではつまらない。その土地のものを食べたいし、ストーリーを聞きながら食べると、満足感が違ってくるから不思議です。外国人に築地が人気なのは、そこに日本人のメンタリティ、文化があるからでしょう。
自国の食文化を守るという意味では、韓国はキムチを絶対に食べるし、赤ちゃんの舌にのせるところから始めると聞いて、韓国は偉いと思いました。
日本では、大事な発酵文化である漬けものを食べなくなっているし、学校給食に白米は出しても漬けものは出ません。また、言葉の面でも、例えば「汁をはる」と言うと「シールを貼った」という笑えない話があるほどで、せっかくの食文化が失われつつあります。
在来野菜が文化遺産としての価値を見直されてきているのはむしろ当然で、日本の食文化を見直すきっかけになればと期待します。
世界がグローバル化、IT化して拡散していく時代だからこそ、食は生命をつなぐものとして、文化として、またコミュニケーションツールとして大事になってきます。とりわけ在来野菜は、さまざまなおもしろい顔をもっています。今ならまだ間に合うのです。
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