大根は日本で一番親しまれてきた野菜です。ヨーロッパではむしろ薬として扱われ、ピラミッドの建設の際にも食されたという記録が残っています。
日本では弥生時代にはすでにあったのでは、と考えられます。神社・仏閣とも切り離せないもので、民俗学者の柳田国男によると、大根にまつわる言い伝え、特にタブーが多いそうです。真っ白な根が大地に突き刺さっている様子から、大根が命の象徴と捉えられ、恐れおののいたようです。また大根は腹痛を治す効果があり、大黒様と絡んだ言い伝えがたくさんあります。大根料理はいろいろありますが、江戸期には既に完成していたと考えられます。
1700年代になると、お伊勢参りや善光寺参りが盛んになり、人々の移動に伴って大根も各地に伝わりました。地大根、在来大根が数々ありますが、たいていはその集落の名前が付いていて、その地でしかその大根の特性が出ないことを、生徒たちと追求したりもしました。
やがて中国にも、天安門事件の頃に行ったり、チベット、ウィグル自治区も訪ねました。地域によって民族が全部違うことを目の当たりにしましたが、夏の頃だったせいか、大根を見出せなかったのは残念でした。ヨーロッパにも行き、ドイツで葉付きの大根が売られていたことも思い出します。
■東北に現存する個性豊かな地大根
東北には地大根がたくさんありましたが、いわゆる総太りが全国に普及してからは、グンと減りました。地大根のルーツをたどってみると、大根も物流と同様、最上川や只見川などの川で伝わったものが最も多いのです。塩の道ともダブっています。上流から中流、下流へと伝わって、一番残っているのが山形です。ただ、同じ品種でも峠を越えると変わるのですから、おもしろいものです。
平成20年秋から、かつて訪れた地大根と地域の実態がどう変貌しているか、再び踏査してみました。その一端をご紹介してみましょう。
|