タイトル<野菜の学校>
● 2011年度「野菜の学校」 ●
- 2012年3月修了式のレポート -
【記念講演】

「地大根が語る東北の食風土」

東北大学農学部非常勤講師・元石巻北高等学校校長
佐々木 寿(ささき ひさし)氏

◆大根は日本で最も親しまれてきた野菜

 私は元々は経済が専門だったのですが、教師として長年、農業教育に携わってきました。農業教育では、生徒が自分でテーマを決め、土を作り、種をまき、よく観察し、収穫、評価をするもので、「Learning by doing」、 まさに成すことで学ぶ、自分でやって感動を得る教育の場です。勤務する学校の近くにあった、在来の小瀬名大根に出合ったことがきっかけで、生徒共々すばらしい農業体験を重ねてくることができました。


佐々木 寿氏

 大根は日本で一番親しまれてきた野菜です。ヨーロッパではむしろ薬として扱われ、ピラミッドの建設の際にも食されたという記録が残っています。

 日本では弥生時代にはすでにあったのでは、と考えられます。神社・仏閣とも切り離せないもので、民俗学者の柳田国男によると、大根にまつわる言い伝え、特にタブーが多いそうです。真っ白な根が大地に突き刺さっている様子から、大根が命の象徴と捉えられ、恐れおののいたようです。また大根は腹痛を治す効果があり、大黒様と絡んだ言い伝えがたくさんあります。大根料理はいろいろありますが、江戸期には既に完成していたと考えられます。

 1700年代になると、お伊勢参りや善光寺参りが盛んになり、人々の移動に伴って大根も各地に伝わりました。地大根、在来大根が数々ありますが、たいていはその集落の名前が付いていて、その地でしかその大根の特性が出ないことを、生徒たちと追求したりもしました。

 やがて中国にも、天安門事件の頃に行ったり、チベット、ウィグル自治区も訪ねました。地域によって民族が全部違うことを目の当たりにしましたが、夏の頃だったせいか、大根を見出せなかったのは残念でした。ヨーロッパにも行き、ドイツで葉付きの大根が売られていたことも思い出します。

■東北に現存する個性豊かな地大根

 東北には地大根がたくさんありましたが、いわゆる総太りが全国に普及してからは、グンと減りました。地大根のルーツをたどってみると、大根も物流と同様、最上川や只見川などの川で伝わったものが最も多いのです。塩の道ともダブっています。上流から中流、下流へと伝わって、一番残っているのが山形です。ただ、同じ品種でも峠を越えると変わるのですから、おもしろいものです。

 平成20年秋から、かつて訪れた地大根と地域の実態がどう変貌しているか、再び踏査してみました。その一端をご紹介してみましょう。

 奥会津の【あざき大根】は、上野原大地に自生するもので、栽培者は自生地を耕起して畝立てをするだけで、大根は自然に伸びてきます。10p長さくらいがよく、辛さが絶品で、地元の高遠そばの薬味には欠かせません。

 畦道に雑草のように生えているのが実は大根で、場合によっては金のなる木にもなる例がよくあります。まずは貴重な遺伝資源としてとっておいてほしいものです。


あざき大根

 

 山形県米沢市の【弘法大根】も、そばを収穫した跡地の畑全体に自生する野生の大根で、薬味としては最高ですが、今では雑草扱いになっています。何とか産地化できないものかと考えています。


弘法大根

 同じ米沢市の【梓山大根】は固く、辛く、側根の多い大根で、おき漬けに利用されてきました。江戸時代から作られてきたのですが、一大生産地だった地域が工業団地になって減り、生産者が1人にまでなってしまいました。生産者が梓山大根の栽培を小学校で教えるなどしているうちに、生産者が3、4人に増えたとか。梓山大根は「心をつなぐ大根!」だそうです。


梓山大根

 岩手県岩泉の安家地区、日本一の安家洞で有名なあたりで古くから作られてきた【安家地大根】も、高齢化の中でかろうじて継承されている地大根です。固く、辛い大根で、漬けものには不適ですが、凍み大根に向き、干した葉っぱはみそ汁に入れて使います。


安家地大根


安家地大根

 

 宮城県加美町小瀬のみで作られてきた【小瀬菜大根】は、葉っぱだけを食べる幻の大根と言われ、私も30年前から高校教材にしてきました。葉は80cmくらいになる野沢菜のようなもので、鈴木さんというおばあちゃんが一人で作っていたのですが、高齢化で途絶えてしまいました。でも、地元で復活させようと組合ができ、栽培だけでなく、葉の食べ方や根の利用法も工夫されるようになりました。


小瀬菜大根

 山形県長井市の【花作(はなつくり)大根】は、辛くて、採りにくくて、生食には不適な固い大根。でもたくあん漬けに向くので、昭和61年頃までは東京の生協と提携して各種たくあん漬けの加工場ができるほどだったのですが、その後、栽培が途絶えました。でも、保存されていた種で「ねえてぶ花作大根」として復活しています。


花作大根

 

 山形県大蔵村にある肘折温泉の途中の山間部で作られているのが【肘折大根】。辛くて固く、根の地上部が赤紫色の大根です。元々は最上郡全域で作られていたので、地元では最上大根とも呼ばれます。これも生産者が一人になってしまいました。生産者の佐藤さんは、農業高校生を受け入れて在来種の価値を伝えています。


肘折大根

 

 同じ品種が奥羽山系を越えて、宮城県加美郡でも作られているのが【きじがしら大根】。こちらは肘折大根に比べて短い。同じ大根が峠を越えると変わるのがわかります。


きじがしら大根

 山形県鶴岡市日枝地区の【小真木大根】は、細くて20cmくらいの小さな大根。江戸時代から栽培されていた大根ですが、今は斎藤さんというおじいさんが最も形質をよく保存しています。2週間くらい干してから農協に売るそうで、正月の定番であるハリハリ漬けにするのはこの大根。軒下に、葉を上に吊して干す光景は、まさに秋の風物詩です。


小真木大根


小真木大根

 秋田県鹿角市には【松館しぼり大根】といって、野生種に近い、眠気が覚めるような辛い大根があります。収穫後は葉をとって、雪の中に保存しておきます。根をすりおろしてしぼった汁は実に辛く、どぶろくのようで、これを刺身やそば、うどんの薬味にしたり、ハタハタにつけたり、汁を鍋に入れたりします。

 この辛さは松館集落でしか生じないので、辛さを一定にするために、地域農業普及センターなどで長年にわたって改良を重ね、F1品種として定着させました。産地化に成功して、安定供給されるまでになっています。


松館しぼり大根


松館しぼり大根

■遺伝資源として、もっと光を
 
 地大根は貴重な遺伝資源であると訴えて半世紀になります。なくなりそうになると、光が当たるのは不思議なほどです。東北の地大根は12種しか残っておらず、それはみんな山間地であり、太平洋側にはなく、日本海側に残っています。かつて、北前船で物流が盛んだったこともあるでしょうし、冷害・飢饉が続き、糧飯として利用されてきた歴史も関係しているでしょう。

 食べ方は風土によって違います。これからは地大根を残すだけでなく、その時代に合った食べ方を工夫していかなければいけないと思います。以前、総太り大根の揚げ出しにしぼり大根を少しのせ、薬味のようにしていただいたのが大変おいしかった。こんな食べ方もあるんだと新鮮でした。たかが大根、されど大根です。

 また地大根は、北陸や宮崎では焼き畑で栽培されるものもあります。その栽培方法の知恵も伝えたい。多様な遺伝資源として、まだまだ光を当てていただきたいと切望します。

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