第3章 野菜のおいしさに関する検討結果
T 嗜好型官能評価結果
3 評価結果に対する補足と考察
(3) 嗜好形成の抑制因子と促進因子
   野菜の消費量を増大させるためには、先ず図8-1に示したような個々の野菜の平均嗜好度を高めることが考えられる。そのために野菜の嗜好形成度のプロセスを振り返る必要がある。一般に人が離乳後食嗜好を形成する最初のプロセスは、何が食べられるかではなく、何が食べられないかを学習することであるといわれる。その判別は五感によってなされるが、特に味は食物選択のガイドであるとされ、甘味は糖、塩味はミネラル、酸味は腐敗や果物の未熟さ、苦味はアルカロイドはじめ種々の有害物、うま味は蛋白質の存在を示唆する信号と考えられている。
 人は生得的に甘味、塩味、うま味を好み、酸味や苦味を忌避する。生得的には好まれないが好まれる可能性のある物質への嗜好は後天的に開発されるが、そのような物質はIUS(innately unpalatable substance)とよばれ、また、これを不快とする感情は負の感覚感情効果と呼ばれている。IUSには苦味や酸味物質のみでなく、辛味、渋味、エグ味物質、メントール、アルコールなどがあるが、一度嗜好を獲得すると強い嗜好を引き起こすものが多い。また、香りの嗜好については殆どが生得的ではなく学習によるとされている。
 野菜は種類にもよるが、味は弱くて曖昧なものが多く、IUSを含むものも多い。また、独特の香りを有するものも多いが、子供が野菜嫌いであるのはそのためである。図8.1をみれば、IUSや香りが野菜の嗜好形成と深く関係していることがわかる。野菜を好きにするには、負の感覚感情効果、新奇性恐怖とも呼ばれる、を引き起こす因子(抑制因子)を学習によって快感(促進因子)に変える、抑制因子を弱くする、あるいは甘味のような強い促進因子を付与して抑制因子をマスクする、好ましい特性を持つ食品と組み合わせて連合学習させるなどの手段がある。
 塩味やうま味は快い味とはいえ、それ自身を強い濃度で味わえば不快となり限界濃度があるが、甘味は快適濃度に限界がない。そのために、もっとも初歩的かつ有効な手段として甘味付与が行われてきた。例えば、コーヒーは以前は10g/杯ほどの砂糖が標準的に用いられたが、コーヒー嗜好が広く定着した現在では無添加を好む人も多い。また清酒や洋酒の初心者も甘口や甘いカクテルを好むが、飲酒歴が長くなれば辛口に移行する。これはコーヒーや酒本来の味や香りへの嗜好が形成されるためであり、そのときにはもはや甘味は無用になることを示している。
 


(4) 野菜における甘味増強の意味
   野菜嫌いの人を野菜好きにするために、甘味を強めることや、香りを弱くすることが手段として有効であるならば、薦められるべきであり、現在のにんじんが食べやすくなったために子供にも好まれるようになったのも事実である。しかし、問題はどのような人が、どれだけそれを望んでいるかである。図8-3は大学生159名のにんじんの特性に対する好みや要望度を7段階尺度で測定したときの、にんじんに対する嗜好度で群別し平均値で示したものである。
   
 
図8-3 にんじんに対する嗜好度群別にみた好みと要望
   にんじんのにおいを弱くしてほしいと思っているのは嗜好が形成途上にある人だけである。また、にんじんの甘さが好きなのは、にんじんが好きな人であって、嫌いな人はその甘味も好んでおらず、もっと甘くしてほしいとは思っていない。生食についても同様である。回答者は女性が多かったので、好きな人はもっと甘くしてほしい傾向も見られるが、全体としてこれ以上甘くすることは少なくとも大学生の年代では望まれていないし、それによってにんじん愛好者が増えるとは予測できない。煮て食べるならば砂糖を加えればすむことである。さらに糖度を上げたいとすれば、何のため、誰のためかを考え直す必要がある。
 同様のデータをほうれんそうについて図8-4に示す。ほうれんそうが好きな人は独特の風味を好み、アクやえぐ味はあまり気にしていない。葉の厚いもので、やわらかいだけでない歯ごたえも好んでいる。根の甘味を好むのもほうれんそうの好きな人で、もっと甘くすれば若干喜ぶのはほうれんそうが好きな人である。根と葉の甘味の強さが異なることによって、味の対比が引き起こされ、双方の味が引き立てられるのであるが、そういった認識はほうれんそうが大好きな人では僅かに窺えるが、そうでない人の反応はむしろ逆の傾向にある。
   
 
図8-4 ほうれんそうに対する嗜好度群別にみた好みと要望
   いずれにしても、ほうれんそうをさらに甘くすることに努力が一局集中することや、アクやえぐ味を減らすために他の成分も減らし、葉を薄くし、生食用にも兼用できるようにすることが、食物の総摂取量が限られているなかでのシェア争いにおいて、本筋になりうるのか、それよりも、ほうれんそうらしさを大切にすべきなのかはこのデータからも明らかと思われる。
(東京農業大学教授 山 口 静 子)


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