第6章 検討結果の総括
 野菜の摂取は、生活習慣病の予防など、国民の健康維持の観点からも重要である。しかしながら、国民1人当たりの野菜消費量は減少傾向にあり、ここ10年で約1割減少している。その解決策の決め手は「おいしさ」にあると考え、現在の国産野菜の品質と嗜好の関係を構造的に把握することを試みた。先ずはポピュラーな3品目を対象とし、嗜好型官能評価、分析型官能評価、一般消費者による食べ較べ、文献調査、アンケート調査、生産地調査、専門家の意見聴取など多面的な追求を行った。
 嗜好型官能評価では、歯切れを強調したミニきゅうりは、味や風味が伴わなかったため高く評価されなかった。一般のきゅうりでは、評価者にきゅうりらしい香りや味の強いものを好むか、嫌うかの2つのタイプが存在し、また、離水しやすいものを水っぽいとするか、みずみずしいとするかなど、似て非なるものに対する鑑別力も相半ばして存在するために、大衆の平均値では品質の良否は評価できないことが分かった。
 にんじんも、同様の理由で高品質と普及品とされているものでも平均値には大差がなかった。砂糖を添加すると、明らかに甘すぎると自覚されても、砂糖添加に選択が傾いた。にんじんとしての認知的判断よりも、感覚的な快で判断されるためである。そのために食品は過剰に甘くなる虞があることが示唆された。にんじんが好きでない人は、香りは弱くしてほしいが、甘味を強くすることは欲していなかった。長にんじんはBRIXも高く、味、香りが濃厚で密度が高く、煮ることで甘味、うま味、風味が増強され、品質として優れた特徴を示したが、食べ慣れない人には、香りも弱くて人参らしさの少ないものの方が高く評価された。
 ほうれんそうでは、比較的価値観が一致し、寒締めはBRIXが高く肉厚で高く評価された。水耕栽培の生食用はBRIXが低く、葉が薄く、茹でたときの歩留まりも少なかったが、ベーコンやツナとのサラダでは高い評価を得た。しかし、ほうれんそうが好きでない人を、サラダでほうれんそう好きにする可能性は低いことが示唆された。
 以上から、野菜の評価や開発で考慮すべき重要な構図が明らかにされた。野菜の消費者は常にその野菜を好きな人とあまり好きでない人、鑑別力のある人とない人の集団から構成されており、それぞれが対立した価値観をもつということである。野菜の評価軸には、嗜好形成度と鑑別能力、2つの座標軸を加え、それらを区別しなければ、優れた品質は切り落とされ、どちらつかずの中途半端なものしか生き残れない。また、野菜の嗜好形成には苦味や独特の香りなど、生得的には好まれない抑制因子を学習や馴れによって克服する必要があるが、それをショートパスして野菜嫌いの人の嗜好を高めるために、甘味の増強、抑制因子の減弱などの方法を一方的に進めることは、嗜好の発達を幼児段階に止まらせ、野菜の個性を奪い、野菜好きな人を野菜離れさせるばかりか、必ずしも野菜嫌いな人の要望に合致しているとは限らないことも示唆された。
 消費量の拡大という点では、生食が増えること自体はよいとしても、本来の煮物や漬け物が減り、野菜自体が生食にも向いた方向に変化することは問題であることが示唆された。第1に、生では嵩が多くても量が食べられないこと、第2には栄養要求のシグナルであり、食物の選択摂取を支配する味において、生では味成分が味蕾に到達しにくく、野菜本来の微妙な味が味わえないためである。長にんじんの例はその典型で、生では加熱調理ではじめて発現される品質特性の価値が発揮できず、野菜らしい香りや個性は加熱よりも強く否定されるのである。きゅうりでは学生は漬け物を好むが、それ以上にサラダを好んでいた。そのために求められるきゅうりの質も、味よりは食感などに傾く可能性も示唆された。そのために野菜本来のほろ苦さやうま味などの味の深みが閑却され、和食文化の根底をささえてきた味覚そのものが崩壊に繋がることも示唆された。
 分析型官能評価の結果は、設問や試料の提示条件の違いにより、嗜好型の結果とは若干異なるものの、概略では嗜好型とよく一致した。化学分析では、水分、糖、有機酸、との対応は必ずしも明瞭でなかったが、野菜の味は強くはなく、複雑微妙であるために、少数のパラメータでは説明できないのは当然であり、さらなる追加項目の必要性が明示された。
 アンケート調査では、野菜に対して大きな不満や問題意識は上がってこなかった。これは野菜消費の現状を考えたとき、喩え国民はごろ寝を好むにしても、運動を薦める施策が必要なように、野菜嗜好を鼓舞するための戦略的な対策が必要なことを意味している。食経験豊かな生活者、地方の方には、「おいしさ」(品質)へのこだわりが強いが、若い主婦には、価格志向が強く、スーパーの野菜をまとめ買いする主婦も多く、新鮮さを求めながらも、家庭での留め置き時間が長い。主婦が考えるきゅうりの「おいしいさ」は、シャキシャキとした「歯触りが良い」、固有の「香り」、「甘みが少しある」、「苦みがない」となった。にんじんは、「カレー・シチュー」、「和風煮物」で食することが圧倒的に多い。「子供の頃の方がおいしかった」は23.8%にとどまり、むしろ「現在販売されている方がおいしい」(18.1%)との回答もあった。また、にんじんの「おいしさ」の2大要素は、「甘み」があることと「色が濃い」ことで、その他には「固有の香り」や「歯ごたえがある」となった。ほうれんそうは「おひたし」の利用が圧倒的に多く、次いで「バター炒め」や「和え物」であった。主婦が考えるほうれんそうの「おいしさ」は「甘み」があり、「葉の緑色が濃い」、「あく味・えぐ味が少ない」、「根元が赤い」などであった。主婦のおいしさのイメージは、現在の野菜の開発姿勢にそのまま反映されているケースが多く、野菜の品質向上には消費者の賢明な選択の重要性、またそのための的確な情報提供の必要性が示唆された。
 生産地調査では、品質やおいしさよりも、定量・定価格・納品時間厳守等の対応力がバイヤーからの産地評価になっていることが確認された。そのために産地では品種導入に当たって、品質よりも耐病性、収量性を重要視している生の声が集められた。
 アンケートによる消費者の声、また現場の声、食べ方の問題まで加味すると、すべての人を満足させるおいしい野菜などはあり得ない。それゆえに、何が大切で、何を優先すべきかがいまこそ問われているといえる。
 以上を総合していえることは、野菜の質を高め、消費量を増やすために大切なことは、少なくともいまなお若い世代にも支持されている和食文化のなかで、連綿と受け継がれてきた野菜や、煮物、漬け物などの食べ方を大切にすることが基本である。野菜の特性は無限であり、嗜好は学習によって形成され、一朝一夕に出来上がるものではない。ここで示されたように、平均値に頼る多数決主義による野菜の評価や、初心者の嗜好獲得にのみ焦点を合わせた品種開発は転換期にきていると思われる。表層的な消費者嗜好に流されれば、少なくとも品質向上には繋がらず、野菜は野菜らしさを逸脱するなかで、徐々に野菜離れが進行し、和食文化とともに破滅しかねないからである。
 生産者は上記の2種類の消費者をはっきり意識して、ターゲットを明確にした生産に取組むと同時に、消費者には嗜好の形成段階に合った品質の違いや見分け方、用途を明示する必要がある。今年度の主たる成果は、消費者のおいしさに対する評価の基本構造と問題点を明確化したことにあるが、文献調査の結果でもこのようなマクロな視点から嗜好構造を捉えたものはなく、今後のわが国の野菜開発のあり方の岐路を分かつ情報と思われる。さらに上記の知見を一般化し、野菜作りや評価の規範や指針を作成するための論理的な裏付けを強化する必要がある。具体的には、官能評価の事例を増やし野菜の嗜好構造モデルを確かなものにする、品質に直結したパラメータを捉えるための理化学的分析法を開発する、より掘り下げた消費者のニーズを把握するなどが次の課題である。
(東京農業大学教授 山 口 静 子)
 


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