昨年度に引き続いて野菜の特性と消費者嗜好の構造について検討した。とくに嗜好差の大きなにんじんについては調理との関連性において詳細な検討を行った。
先ず、なすでは大型の筑陽と中型の千両2号を煮物と漬け物で評価した。前者の方が水分が多く、柔らかく、なすらしい風味は弱かったが、多数決原理からすれば前者が好まれた。しかし、なすが好きな人は後者をより高く評価した。また、前者を高く評価する人ではうま味に差がつかなかったが、後者を高く評価する群はうま味の差を明瞭に識別していた。前年度指摘したように、消費者は常にその野菜に対して嗜好が形成されている人と、未形成な人、判別能力がある人とない人からなっており、屡々反対の価値観を持つために、それらを区別して考えるべきことがここでも確認された。
次に4種のだいこんを評価した。とくに興味深かったのは、油揚げと煮た場合と、かつお削節を少量まぶして煮た場合では評価が逆転したことである。これは明らかに後者ではかつおのイノシン酸とだいこんのグルタミン酸との間にうま味の相乗効果を引き起こすためで、かつお節に限らず、動物性食品と野菜との相乗効果が野菜をおいしく食べるために重要であること、また野菜のおいしさの評価では、他の食材や調味料との組み合わせで引き起こされるうま味のポテンシャルが重要な指標になることを示している。
きゅうりについては、先ず4種の評価を行った。そのうちの1つは、専門家の予測では当然好まれないはずであったが、反対に高く評価された。その理由はかたくてパリッとしていたことにあり、若干甘味も強く評価されていた。そこで、さらに別の4種類のきゅうりについて、6日前に収穫して保存したものと、前日に収穫したものの比較評価を行ったところ、いずれにおいても、有意差がないか、6日前に収穫したものの方が高く評価されていた。唯一収穫前日の方が高く評価されたのはドレッシングをかけた場合の1種で、生食では苦味と異風味があり、有意に好まれなかったものである。ドレッシングをかけた場合には、食感がパリっとしていて、保存してもかたさに変化が生じにくいきゅうりならば、それ自身の味や風味はマスクされ、パリパリ感によって、少なくとも素人の消費者には一応おいしく食べられることが分かった。
にんじんについては、はじめに3種類を、生と牛肉やほかの野菜と共にポトフにした場合について評価し、にんじんのあまり好きでない人は、甘いにんじんは好まないことなど、昨年と同様な結果が成り立つことが確認できた。また、向陽二号、ひとみ、千浜の3種を千葉県富里の同じ土壌で栽培したが、収穫されたものは、昨年ほどBrixや糖含量に差がなく、生で味わっても優劣つけがたいものであった。しかし、ごく微量のイノシン酸(にんじん+水に対して0.01%)を添加して煮た場合と、無添加で煮た場合には、評価が逆転するほど大きな影響を与えることが分かった。さらに、醤油や酒を少量加えて風味を増すと0.0033%のイノシン酸添加でも有効なことが示された。にんじん中のグルタミン酸量の差は高々0.005%程度であったが、その差がイノシン酸との相乗効果で拡大されたためである。また、イノシン酸の効果を識別できた人はうま味の違いを識別でき、にんじん臭い風味を高く評価したが、そうでない人は甘味に注目していた。
いずれにしても、うま味は野菜のおいしさをこれほどドラマティックに支配するとは、これまでの野菜の研究でも知られていない。Brixは指標の1つにされてきたが、野菜は本来果物とは違って、甘味を売り物にするものは少なく、弱くて曖昧であるが、噛みしめるとそこはかとなく奥深い味を有するものが多い。肉や魚が主役であるのに対して、野菜は脇役として主役を引き立てることによって引き立てられるものである。相乗効果はまさにそれを象徴するものであるが、そういった意味でも野菜にとってうま味は着目すべきもっとも重要な味と考えられる。
ただし、野菜はグルタミン酸の量だけをやたらに増やせばいいというものではない。野菜の味は無数の成分で成り立っており、香気成分の種類はさらに多い。全体としてのバランスが重要である。もしグルタミン酸のみを増やしたければ、うま味調味料を添加すればすむことである。これは甘味にしても同様で、必要であれば砂糖でも蜂蜜でも好きなだけ添加できるが、反対に甘味が強すぎれば、それを減らすことはできない。調味したり、素材を組み合わせたりしたとき相乗効果を引き起こしたりする余地を残しておく必要がある。強さも度を超すと、感覚は飽和し、飽きやすく、量的にも多くは摂取できない。何事も適量が善で、度を過ぎれば悪となることはいうまでもない。これは味だけでなく、上記のパリパリ感はじめ全ての感覚についていえることである。
そのためにも、ここで示した3種のにんじんの評価結果は重要である。もし、分析値では僅少な差しかないにんじんの評価が、調理や調味によって大きく変化するということを知らなければ、野菜は一面だけで評価され、誰もが単純に分かる特性のみを強調して差別化しようとするために、感じるか感じない程度の強さで無数に存在する成分が醸し出す微妙な味が閑却されるため、かえって味全体が単純化し、底の浅いものになってしまうおそれがある。その結果として、自転車操業のように、絶えず目先の変わった品種改良に追いまくられ、嗜好の形成も、文化の伝承も追いついていけないことになる。その前に、いまある野菜の地味にして滋味なる味わいをじっくり味わい直すことが大切といえる。これは野菜に限らず、わが国の食品開発の全てについていえることで、ライフサイクルの短い商品を次々に開発することに莫大な得寝る義と資源を無駄遣いすることは、考え直す必要がある。
以上をまとめると、昨年度は消費者の嗜好構造として、消費者は常に、その野菜を好きな人と余り好きでない人、鑑別力のある人とない人からなっており、それぞれが対立した価値観を持つために、それらを区別しないと品質は中途半端で低きに流れることを示したが、今年度はなすを含めてこの構造は成り立つことを再度確認した。さらに、調理における「だし」や微妙な味付けの違いによって評価は大きく変化すること、特に野菜のおいしさを大きく支配する要因の1つはうま味であり、野菜のうま味が微量のイノシン酸によっていかに変化し、おいしさを支配するかも明らかにした。野菜の評価には、Brixが重視されてきたが、さらにうま味は特有の相乗効果を含めて野菜のおいしさ評価における重要な指標となることが示唆された。
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