第3章 野菜のおいしさに関する検討結果
T 嗜好型官能評価の概要
6.にんじんの評価 その2
<試料>

A:向陽
B:ひとみ
C:千浜


(左から  B:ひとみ  A:向陽  C:千浜)

 試験販売を含めて、代表的なにんじんについてさらに評価を行うために千葉県富里の同じ土壌にこの3種を大量に栽培したのであるが、昨年の試料に比べて天候のせいか試料間の差は小さく、一見明瞭な差はつけにくい感じがしたが、微妙な違いをさまざまな観点から検討した。
実験1.異なるだしを用いて煮た場合
 にんじんの両端を切り落とし、皮をむいて約6gの大きさに乱切りにしたもの2kgに対して市販の固形スープ(味の素のコンソメスープ6.4キューブと水2kg)で沸騰後20分煮た場合と2%かつおだし2kg、食塩10gで煮た場合について評価した。
<結果>
 食べたさの順位を表3と図18に示す。

表3.異なるだしを用いて調理したにんじんの評価結果


図18.異なるだしを用いたときの3種のにんじんの買いたい順位の内訳

 これは市販スープと鰹だしの優劣の問題ではなく、前者ではイノシン酸に比べてグルタミン酸が多く、後者ではイノシン酸がより多く含まれているために、にんじん中のグルタミン酸のうま味を相乗的に強めるためと考えられた。実際、全農によるアミノ酸の分析結果では、グルタミン酸含量はA:0.0139%、B:0.0189%、C:0.0157%で、僅かではあるがBが最も多かった。この程度の差でも、イノシン酸と相乗効果を引き起こしたときは、うま味の強度に大きな差をもたらすのである。
(平成19年11月30日実施)
実験2 イノシン酸の有無による評価の違い
 以上のことを確認するために、AとBについて塩味のみで煮た場合とイノシン酸を添加した場合について評価した。
<試料>
A:向陽 にんじん2kg + 水2kg + 食塩 10g  煮上がり3kg
B:ひとみ  同上
C:Aにイノシン酸ナトリウム 0.01%(にんじんと水に対して0.4g)添加
D:Bにイノシン酸ナトリウム 0.01%(にんじんと水に対して0.4g)添加
<結果>
 それぞれの評価の平均値は図19、20に示すとおりで、イノシン酸の添加によりAとBの評価が逆転することが分かる。イノシン酸無添加の場合はBの方がうま味が強い傾向はみられるが、Aの方が甘味が強いために、それに打ち負かされて総合的なおいしさでは大差がなくなっている。また風味もAの方が好まれている。しかし、イノシン酸を添加した場合はうま味、味全体の好ましさの差が明瞭になり、しかも風味さえもD(すなわちB)の方が顕著に高く評価されている。


図19.塩味のみで煮た場合


図20.微量のイノシン酸を添加して煮た場合

 (平成19年12月13日実施)
実験3. にんじんに対するさらに微量のイノシン酸の添加効果
 千浜を用いさらに微量のイノシン酸の添加効果を測定した。

A:千浜1.5kg 水1.5kg 食塩 7.5g  
B:A + イノシン酸ナトリウム 0.1g
 (水とにんじんに対して0.0033%)
C:Aにさらに醤油15gと料理用酒30g
D:Bにさらに醤油15gと料理用酒30g

はじめに塩味のみで煮た場合(A vs B)を
評価したが、差が小さかったので、
さらに醤油と料理用酒を加えて
評価した(C vs D)。
評価は7段階尺度で行った。


微量のイノシン酸(椀の真中)添加

<結果>
 それぞれの評価の平均値を図21と22に示す。


図21.単純に塩味で煮た場合のさらに微量なイノシン酸の添加効果


図22.さらに醤油と酒を加えて煮た場合の微量なイノシン酸の効果

 図21では単純に塩味で煮た場合には、微量のうま味の増加はむしろ甘味として捉えられ、うま味としては意識されていない。しかし、図22では醤油や酒にグルタミン酸が含まれているために、煮物全体のうま味レベルが上がり、微量のイノシン酸でも相乗効果を引き起こし、うま味として明瞭に意識されることになるが、それ以外の理由として、うま味は単なる塩味だけの味付けでは快とは感じられず、適切な香りが共存しないと快の感情を引き起こさない性質があり、微量の醤油や酒の風味がそれに寄与したためと考えられる。

 さらにCとDでいずれをより食べたいとしたかによってパネルを群別し、それぞれの評価の平均をプロットしたのが図23である。Cを選んだ人(19名)はCの甘味を強く感じ好んでいるがうま味の強さについては差がない。それに対してDを選んだ人(28名)はDの甘味を若干強いと感じ好んでいるが、Dの方がうま味を強いと感じている。また、Cを選んだ人はにんじん臭さの弱い方の風味を好ましいとしているが、Dを選んだ人はにんじん臭いほうの風味を好ましいとしている。さらにフリーアンサーでみると、Cを選んだ人の理由は甘味が強い11、人参臭さが少ない5,風味がよい2,にんじんの味がよい2,後味がよい2,食感がよい、総合的によい1,うま味がさっぱりしている1、であったのに対して、Dを選んだ理由は、うま味とコクがある10、甘味が強い8,人参臭さが少ない8,風味がよい4,味が濃い2,食感がよい1,後味がよい1,甘すぎない1で、Cを選んだ人は殆どうま味に着目していないかまたは気づいていなかったが、Dを選んだ人はうま味やコクをもっとも多く挙げていたので、うま味に対する識別力が高い人であるといえる。


図23.Cを選んだ人19名とDを選んだ人28名の群別評価平均値

 実際にんじんの糖度を測定すると頭部(葉に近い)と根の先端では頭部が1〜1.5%高く(図24)、同一試料でも個体差のある上に味わう部位で甘さも異なるために、パネルは味わった試料の小片で感じた甘味で判断せざるを得ない(このデータは1月のもので、ものによっては前年秋に測定したときより頭部と先端の差が小さくなっている、つまり根の先まで糖度が上がっているものもある)。しかもにんじんを試食するときの心理的構えとしてはにんじん臭いか、甘いかに意識の大部分が集中しているはずである。それにも拘わらず僅か0.0033%という微量のイノシン酸添加が多くの被験者にうま味の違いを感知させることができることは驚くに値する。


図24.3種のにんじんのBrixの個体差と部位差

実験4.にんじんにおけるうま味の識別
 上記の実験でも示されたように、イノシン酸を添加した方を選んだ人はうま味への注目度が高く、無添加を選んだ人はうま味の違いに気づかず甘味やにんじん臭さで判断していることが推定された。それは、にんじんの特徴は甘味やにんじん臭さにあるという前提概念があるためにそこに意識を向けないと、うま味を見過す人がいるためと思われる。

 そこで、千浜を用いて以下の実験を行った。

<試料>
A:上記のように乱切りにしたもの1.5kg+水1.5kgに食塩7.5gを加えて加熱し、沸騰後醤油30g、みりん15gを加えて20分煮たもの
B:上記に0.1gのイノシン酸を添加したもの

 AとBを数切れずつ盛りつけて供し、最初のひと切れは、通常の食べ方で比較し、好ましい方を選ばせ、その理由を記入させた。次に、試料は食べる部位によってばらつきはあるものの、実際は同じにんじんを用いたもので、だしが違うものである、というヒントを与え、ひと切れずつ3回比較試食し、それぞれに好ましい方を選ばせ、さらに最終的に好ましい方を選ばせた。パネルは84名である。
<結果>
 ヒント無しの初回評価と、ヒントを与えてからの4回の比較評価におけるAとBの選択度数を図25に示す。


図25.イノシン酸無添加と添加試料の好ましさの比較(n=84)

 どこが異なるかの手がかりのないよく似た試料を味わった場合、被験者は着眼点をどこに縛ってよいか分からず、しかも口に入れた試料は部位差によって味、風味、食感すべてにおいてばらつきがあるために、変動する特性で判断してしまうために全体としては差がついていない。しかし、だしが異なるというヒントによって着眼点が絞られると、イノシン酸を添加したBの選択率は高くなっている(選択者51で有意)。

 そこで、選択の理由の中から、甘い、(にんじん)臭い、うま味、だし、濃い、後味という言葉の出現度数を数えると表4のようであった。

表4.それぞれにおいてキーワードが選択の理由に挙げられた頻度

 ヒントがなくてもだしやうま味を識別できる人もいるが、甘味やにんじん臭さの部位差で判断してしまう人もほぼ同数いることが推定される。ヒントを与えられるとうま味やだしの違いに気づくが、それでもなお甘味やにんじん臭さの部位差を大きく感じる人もいて、食べ進むほどにうま味の違いに気づく人が増えてくることが窺える。

 つまり、野菜のような天然食品の味、風味、食感は蒲鉾のように一様ではなく、また、食べる行為によって刻々と変化する複雑なもので、食事という一連の行為の中で展開する様々な感覚はオーケストラにも喩えられ、そこに展開する特性は無数である。人は第一印象だけで全てを把握できるわけではない。はじめは気がつかなかった特性でも味わっている間に気づくか、あるいは会話で指摘されて気づくこともある。そしていろいろな特性を感じながら最終的においしいと感じられるものが真のおいしさとして記憶に残るものである。つまり、おいしさには経験や学習が必要である。うま味という味は、他の基本味のように明瞭な味ではない。しかし、日頃からだしを大切にしている人であれば、いわれなくても瞬間的に意識はそこに行くはずである。日本人がうま味に敏感なのは、生理的な味覚感度の違いではなく、「だし」を料理の基本として大切にする文化が定着しているためであるが、そういった日本人の味覚を大切にする必要がある。

 これは極めて重要なことで、もしにんじんの評価が、生食でなされたり、調理の一面のみでなされるならば、にんじんの真価は見過ごされるということである。野菜は、ベジタリアンは別として、肉や魚などのたんぱく質食品と組み合わせて食することが栄養バランスからしても重要であり、うま味の相乗効果はそのことによっておいしく食べさせ、栄養バランスを採らせるために合目的的に働いている。ベジタリアンであっても肉の代わりに茸を用いるならば、そのなかのグアニル酸は肉や魚のイノシン酸と同様の働きをする。野菜は甘ければいいというBrix至上主義は見直すべきといえる。

 野菜をおいしく食べるには、しっかりとだしをとり、素材の持ち味を生かして食べる調理の技というものがいかに重要かということもいえる。また、僅かな醤油や酒の添加でも大きく変化することも示された。料理の味付けは塩梅ともいわれるように、僅少の加減が料理の死命を制することはいうまでもない。手間、暇をかけない料理に向くような野菜の開発を目指し、消費者も時間に追われ調理をおろそかにする(したくはないが、せざるを得ない)限り、おいしい野菜は味わうことができないということを認識すべきである。

 (平成19年12月21日実施)
(東京農業大学 山 口 静 子)
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