これは野菜のあり方を考える場合の重要な問題点である。「おいしいことはいいことだ」、「消費者は王様だ」、を原則にすれば、口に含んだ瞬間に誰でも気がつくような目立つ味に注目し、それ自身快である甘味を強調し、不快である苦味やエグ味をなくし、食べ慣れないと好きになれないニンジンらしい香りはできるだけ弱くすることが、譬え栄養成分や、嗜好の発達にとって望ましくなかったにしても、経済性からみて消費者の評価の平均値を高めことはもっとも無難で効率的である。
天然物の生産は目覚まし時計などの工業製品を大量生産するのとは違って、工業規格に合わせて判で押したように同じ物を作ることはできないが、出来るだけバラツキが少なく、当たりはずれのないものに規格化すれば、どれを測っても同じ数字で捉えることができ、そのことによって、おいしさを「科学的」に捉えようとする現代社会の要請にもマッチできるが、よく噛みしめなければわからないような目立たない味や、不慣れな人には不快と感じられる味を生かすために、当たりはずれが多く出やすく、一部の人にしか高く評価されない野菜を敢えて作る人はいない。特定の消費者に限定して高価格で売れればそれもよいが、一般の人が消費するもっとも消費量の多い野菜はできるだけ多くの人で評価し平均値の高いものを目指せばいいことになる。
もし、それで問題があるならば、消費者も生産者も評価基準も発想を変えなければならない。消費者は王様という大義名分で、消費者の嗜好を表面的に捉え、それに迎合したり、経済効率を最優先とするのではなく、長期的に見た健康・栄養や、食文化を考慮し、消費者も無責任な発散した要求ではなく、自らの感覚を鍛えて野菜の品質を見極める鑑別力を高め、正しい食べ方に基づいた責任ある要望をしなければならない。
いずれにしても、うま味や滋味に対する識別・認知が評価者によって異なることが示唆されたので、次にうま味の識別認知がいかなるプロセスで起こるかについての実験結果を述べる。
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