第2章 野菜のおいしさに関する検討結果
T ニンジンの官能評価と機器分析
1 ニンジンの嗜好型官能評価
<結果>
2.5寸ニンジン、長ニンジン、有機栽培品の比較結果
 鰹出汁で煮た場合の結果を図4に示す。長ニンジンは以前に評価したものに比べて細く、尾はひょろりとして一見見劣りのするものであったが、それでも日本食品分析センターの分析値では、鉄、カルシウム、カリウム、マグネシウム、亜鉛などのミネラル、グルタミン酸その他のアミノ酸、グルタミン、アスパラギンなどがA、B、C より2、3倍から数倍多く、糖全体では大差無いがショ糖の割合が大部分を占めていた。

 3種のニンジンに対する評価の平均値を図4に示す。


図4. 3 種のニンジンA、D、E の評価の平均値(n=24)

 長ニンジンは色が明らかに好まれず、ニンジン臭さが強く、風味は低く評価された。甘味が弱く評価されたのは組織がしっかりして堅いためと考えられる。しかしうま味は強く、滋味も強いとされた。また、フリーアンサーでも揚げられているように、苦味やエグ味なども感じられ、それを受容する人もいたが、嫌う人もいたために、おいしさの平均値はもっとも低かった。黒田5寸がそれに次いでニンジン臭さも強かったが、うま味も強く、滋味もあり、くせも強くなかったためにおいしさも高く評価された。

 表2は品質として望ましいと思う順位をつけた人の内訳である。この場合は上記3
者とは違い、試料間の差は歴然としているので、いずれを高く評価するかは評価者の好みと価値観によると考えられ、それぞれの支持者は分散している。

表2 品質として望ましい順位

 

 実際各試料に対する自由意見を表3に示すが、向陽に対して他の2者はニンジンらしさや味・風味、クセ、個性が強く、それを肯定的に受容する人と敬遠する人がいることが読み取れる。

表3 フリーアンサーで揚げられた3 種のニンジンへのコメント

 

 そこで、向陽を最も望ましいとした人と、長ニンジンまたは有機栽培を望ましいとし
た人に分け、それぞれをどのように評価しているかを平均値でプロットしたのが図5である。


図5.向陽を最もよいとした人とそうでない人の評価の違い

 向陽の鮮やかな色をよいとする人は長ニンジンの地味な色を顕著に好んでいない。またそのニンジン臭さを好まず、甘味を弱く感じそれを好ましくないと感じている。特に注目すべきなのは、長ニンジンや黒田5 寸のうま味を向陽よりも弱いとしていることである。それに反して向陽でないものを選んだ人は、長ニンジンのニンジン臭さにも抵抗がなく、甘味もあまり弱いとは感じず、はっきりとうま味を強いとし、味がしっかりし、滋味があるとしている。ただし、それは認めてもおいしさについての評価は高くなく、長ニンジンほどクセがないが味のしっかりした黒田5寸を最もよいとしている。分析値から見ても長ニンジンのうま味が強く味がしっかりしていることは裏付けられるし、よく噛めば甘味に大差があるとは思えないが、苦味やうま味は甘味をマスクするため、向陽を選んだ人はそれらのない甘味を強いと感じ、そのことがうま味や滋味の判断に影響を与えたものと思われる。このことについては実験2でさらに検討する。

 黒田5寸については成分の分析を行っていないが、食味からしても長ニンジンと似
た傾向があると考えられるが、長ニンジンほどクセが強くなかったので、受容されやすかったものと思われる。

 以前の実験では、長ニンジンへの嗜好はニンジンの好き嫌いとの関係が強かった。そこで、アンケートの質問に対する答えを群別して平均値を求めると図6のようであった。


図6.向陽を最もよいとした人とそうでない人の特性の違い

 パネルは社会人として食経験も豊富で野菜についても一般人よりは見識の高い集団と考えられるが、長ニンジンや有機栽培を選ぶか否かはニンジンの好き嫌い、ニンジン臭さや甘味を好むか否かには依存していなかった。少なくとも建前として、ニンジン臭さを減らし甘味を増やすべきだと思っている集団ではない。また、後述のように昔ながらの野菜を大切にしたいという意見も多い集団である。しかし、そのような集団でも、実際に味わって評価した場合には、昔ながらの特徴の強い、野生味のあるニンジンが直ちに受容されるわけではなく、勿論おいしいと思って選ぶ人もいるが、滋養はありそうだとは思っても、本音としてはより抵抗なく食べやすい味を選ぶ人も多いということがわかる。確かに今回の長人参は図にも示したように先まで成熟しておらず、時期が早すぎたせいもあり、上出来とはいえなかった。前回評価したときは、Brixも高く見るからに成熟度も高かったので、ミネラルやアミノ酸もさらに多く含まれていたと思われる。それを用いれば今回の評価も高かったはずである。しかしたとえ不出来で若干難があったとしても、今回の長人参のほうが何倍もそれらの成分は多かったのである。
<おいしさと価値は両立するか>
 これは野菜のあり方を考える場合の重要な問題点である。「おいしいことはいいことだ」、「消費者は王様だ」、を原則にすれば、口に含んだ瞬間に誰でも気がつくような目立つ味に注目し、それ自身快である甘味を強調し、不快である苦味やエグ味をなくし、食べ慣れないと好きになれないニンジンらしい香りはできるだけ弱くすることが、譬え栄養成分や、嗜好の発達にとって望ましくなかったにしても、経済性からみて消費者の評価の平均値を高めことはもっとも無難で効率的である。

 天然物の生産は目覚まし時計などの工業製品を大量生産するのとは違って、工業規格に合わせて判で押したように同じ物を作ることはできないが、出来るだけバラツキが少なく、当たりはずれのないものに規格化すれば、どれを測っても同じ数字で捉えることができ、そのことによって、おいしさを「科学的」に捉えようとする現代社会の要請にもマッチできるが、よく噛みしめなければわからないような目立たない味や、不慣れな人には不快と感じられる味を生かすために、当たりはずれが多く出やすく、一部の人にしか高く評価されない野菜を敢えて作る人はいない。特定の消費者に限定して高価格で売れればそれもよいが、一般の人が消費するもっとも消費量の多い野菜はできるだけ多くの人で評価し平均値の高いものを目指せばいいことになる。

 もし、それで問題があるならば、消費者も生産者も評価基準も発想を変えなければならない。消費者は王様という大義名分で、消費者の嗜好を表面的に捉え、それに迎合したり、経済効率を最優先とするのではなく、長期的に見た健康・栄養や、食文化を考慮し、消費者も無責任な発散した要求ではなく、自らの感覚を鍛えて野菜の品質を見極める鑑別力を高め、正しい食べ方に基づいた責任ある要望をしなければならない。

 いずれにしても、うま味や滋味に対する識別・認知が評価者によって異なることが示唆されたので、次にうま味の識別認知がいかなるプロセスで起こるかについての実験結果を述べる。



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