第2章 野菜のおいしさに関する検討結果
T ニンジンの官能評価と機器分析
1 ニンジンの嗜好型官能評価
<社会人パネルの野菜に対する自由意見>
最近の野菜について思うこと
(感覚特性に関するもの)
  • 甘味が強くなり、本来の野菜の香り、歯ごたえが違っている。本来の野菜の味を取り戻してほしい。
  • 甘味を主眼として作られているのか、本来の香り、味が薄い。
  • 香りが薄く食べやすくなった。甘味が強調されているが、単調な味のものが多い。
  • 形はきれいだが香りが特になくなった。
  • 小松菜の色が濃くなり過ぎた。
  • 香りが強いものがあっても、薄っぺらで消えやすいものが多い。
  • スーパー等の野菜は平均的でクセのない、その野菜の特徴が和らいだものが多い。
  • 食べ易くなったがもの足りない。宅配の野菜でその野菜の個性を見直すことがある。
  • 本来の香りや味が失われて行くような気がする。
  • 特性を残したさらによい品ができればよいと思う。
  • 全体的に野菜本来(昔からの)味が失われていっているような気がする。
  • 食べやすさを追求する事への反省か、比較的クセのある、その野菜らしい野菜がでて来ているのはよい傾向だと思う。
  • それぞれの野菜の個性、おいしさに重点をおいてほしい。
(周年栽培や生産・物流・価格に関するもの)
  • 1年じゅう手に入ることと引き替えに、その野菜が本来持っている香りや味わいが失われたと感じる。
  • 周年栽培とはいわないまでも、供給時期を延ばすことにこだわり過ぎ、旬の美味しさ+農家をサポートするための売り方の工夫が必要では?
  • 総合的に旬を大切にしてほしい。見かけにかけるウェイトが高すぎる。
  • 流通上の要望で形状など見た目重視で、食味と栄養等として最高の価値のあるものが出回らない環境にある。
  • 品種の改良によってかえって不味くなっているものもあるが、さらにおいしい味に改良されているのが全ての野菜である。おいしい野菜を食べたときは特に満足している。
  • 形にとらわれやすい。美しいとは思うが、消費者は形よりも味や内容を重要に思っている人たちも多い。調理の目的により、小さいもの、形のよくないものでもかまわないものもある。フランスなどヨーロッパのマルシェの様子を思い浮かべる。
  • 新鮮な野菜が手に入りやすくなっている。
  • 今住んでいるところは大手スーパー、生協、八百屋、直売等購買する面で多数あり、恵まれている。
  • カボチャの熟度がわかり選べる形になった。
  • 在来種の種子を自分でも育てたいが入手できるところを知りたい。
  • 非常時でなくてもきゅうりが1 本80 円くらいするのは生活必需品として高すぎる。
  • 中くらいか小のカボチャが4分の1 個345 円で売っていたが1 個千円とはあまりにも高すぎる
  • 昔は野菜は安くて誰にも手に入る庶民的な食材だったが、今時のスーパーの価格はあまりにも高くなった
  • 通信販売やデパートの高級食材売り場では確かによいものがあるが買える人は限られている。
  • 品質のよいものは高くて一部の人しか買えないとなると一般人は国産は食べられないし外食をしてもふつうのところでは外国品と思って食べるしかない。
  • 肉や卵に比べて野菜はご馳走感に対して高すぎる。
  • とくに加熱調理した野菜は値段的に見栄えがしないので食堂のメニューにのりにくい(昔はじゃがいもたっぷりだったが今はルーだけで具なしのカレーが多いなど)
(品質や栄養価に関するもの)
  • 栄養価、とくに微量成分が昔よりかなり少なくなっている気がする。摂取量が少ない上に成分が薄くなっている。摂取量も大切だが野菜の中身の成分が薄
    くなっているならより問題だ。
  • 水耕栽培のように野性味のないものが増えていて、はたして野菜で今までに摂取してきた成分がとりきれるのか、益々サプリで補わなければならないのであろうか。
  • 総じて水っぽくなった。
  • 旬でないときはとくに、硬直したような、こわばったものが多い(葱、玉ねぎ、白菜、きゅうりなど)。
  • 層がびっしりつまっていない(葱など隙間が多く、保存すると巻紙をつぶしたようになる)。
  • 昔の野菜の方が保存がきいて長持ちしたように思う。
  • 外国産を含めて種類は増えたが、1 つ1 つの品質的内容への関心は稀薄になっている。
(消費者のあり方に関するもの)
  • 消費者教育ももっと必要である。
  • 野菜の選び方の基準が消費者の中でもまちまちだと思う。
  • 野菜も生き物、でも話せない、だから野菜について思うより、消費する側がもっと野菜に話しかけてほしい。


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