第9章 野菜のおいしさに関する意識調査とタマネギの官能評価
味覚と食嗜好研究所 山口 静子
3 タマネギの官能評価

3.3 考察

1)消費者の嗜好とタマネギの行方
 しかし、分析値その他客観的な指標で説明できないにも拘わらず、このデータだけからXよりYの方が優れていると判定することは常識的には妥当であっても科学的でない。またYを高く評価する人の鑑定能力が優れていることを証明することもできない。それは高齢者や、現在の野菜に不満をもつ不平家の嗜好であり、若い人や現在の野菜に満足している人の嗜好を尊重すべきだという考えもあり得る。また成分を特定できない限り、人の感覚だけではサイエンスにならないという考えもある。

 実際、官能評価はやり方によって答えはいかようにもなる、といっては語弊があるが、事実この実験でも示したように、例えば、同じものでも評価者集団によって差が明瞭についたりつかなかったりするし、やり方によって反対の結果が得られることさえある。クリームコンポートは試食した調理学の先生方がおいしいと感激して選ばれたレシピーであるが、不味くて食べられず評価できなかったという人がいた。これはその人が間違っている、というわけではない。牛乳や生クリームが嫌いな人もいるし、西洋料理に馴染めない人もいる。しかし、タマネギは全ての人のためにある。ここでは番外データにせざるを得なかったが、そういう人もいることも貴重なデータであり、忘れてはならないことである。

 では官能評価でいえることは何かというと、同じような集団で同じ条件で実験すれば、再現性のあるデータが得られるということで、それは統計学的には大数の法則として、また経験的にもある程度保証できる。つまり、結果は集団特性として実験条件とセットでみなければならないのである。そのあたりが考慮されないまま、結果が一人歩きするととんでもないことになる。

 もし科学的な規範のみで評価されるならば野菜のおいしさ研究は官能評価ができることの限界を超えているし、化学分析の限界をも超えている。食品の無数の成分と相互作用の全てを解明するのは永遠の課題だからである。では科学の進歩を期待して100年河清を待つならば、その場合タマネギはどの方向に変化するであろうか。

 図16と17は前述の図10で示したタマネギに対する質問で、高年経験者と54才以下、および「最近の野菜は本来の野菜らしさがなくなった」と思う人と思わない人の間で同意度の平均値に0.5以上の差があった項目を示す。

 これらの図は、もしこれからのタマネギが、食経験の浅い若年者や、現在の野菜が本来の野菜であると思っている人々の要望や嗜好に合わせて開発されるならば、必然的にタマネギはさらに甘くなり、辛みや苦味がなくなり、切っても涙が出ず、甘味が味の決め手となれば、こくなどの微妙な味は閑却される方向に向かうことになることを示唆している。また、その方が捉え難く、作り難い味の深みなどを追求するよりも生産においても、おいしさの研究にとっても効率的なはずである。

 これは野菜への関心が高い集団の結果であるが、一般の人々はよりこの流れに乗りやすいと思われる。実際、最初に図8で示したように、この評価者は一般人よりも野菜の食歴も長く、野菜本来の味の喪失感や甘み化を強く感じている集団であり、識別感度も高い。初めに述べた意識調査の結果では、とくに若年者は本来の味の喪失感などについては、どちらでもない、とする人が多く、そういう人は現状肯定型の人に近い嗜好パターンを示していた。また、一般の人々は日常生活の中でそれほど注意深く味わっているわけでもないので、よほど差がないと気がつかず、気付いたときには比較するものもなくなっている。これらを合わせ考えれば、時代の流れをどこかで堰き止めないかぎり、野菜の味はさらに微妙な味が薄くて甘味が強く、野生味もなくなり昔の野菜らしさのイメージから離れたものへと自動的に進化し続けることになるであろう。


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