第9章 野菜のおいしさに関する意識調査とタマネギの官能評価
味覚と食嗜好研究所 山口 静子
3 タマネギの官能評価

3.3 考察

2)微妙な味の重要性

平成18年度の調査から:
 小田委員が行った北海道から沖縄まで全国10地区の20-60才の既婚女性2000名に対するアンケート調査では、キュウリ、ニンジン、ホウレンソウが取り上げられたが、その全てにおいて、子供の頃食べたものの方がおいしかったとされ、キュウリでは実に58.0%が子供の頃で、今の方とした人は僅か5.7%、分からない、変わらないが37.5%であった。世の中が進歩しているなら、なぜ生命の源である野菜は不味くならなければならないのか。理由は多々あるにしても、1つは工業製品の論理が生き物である野菜の生産にも当てはめられているためと思われる。自由意見にあった“真っ直ぐを通り越して気持ち悪いほど真っ直ぐなキュウリ” などはその象徴である。人の感覚でしか捉えられない微妙な味が置き去りにされてきたことも考えられる。

 不満の理由として挙げられたのは、キュウリでは、味が薄い(無い)が際立って多く、次いでおいしくない、鮮度が悪い、みずみずしさが不足;ニンジンでは味が薄い(無い)、甘みがない、香りがない;ホウレンソウでは味が薄い(無い)、甘味がない、茎に赤身がない他、の順であったという。また、おいしさをどのように考えているかで第一にあげられたのは、キュウリではシャキシャキとした歯ざわりであったが、ニンジンもホウレンソウも甘味があることで、キュウリにおいても少し甘味がある、が3番目に多くあがっていた。さらにキュウリでは苦味がない、ホウレンソウではあく、えぐ味が少ないがあげられていた。これらのデータを表面的に解釈すれば、最近の野菜は消費者の要望に合わせて生産者が奮闘した結果といえる。味が薄い(無い)ことが不満で、おいしいのは甘いもの、くせのないものであるとすれば、先ず甘味を増し、くせをなくすことを考えるのは当然である。

 しかしここで重要なことは味が薄いとはいかなる味が薄いのかである。それは先にも述べたように、単純な味の強化では置き換えることのできない無数の微弱な成分が醸し出す味と考えられる。

微妙な味が醸し出す味を現す言葉:
 そのような味は食品のおいしさの要となるもので、フレーバープロファイル法で知られる米国のA.D.Littleのフレーバー研究所が1950年代に食品のよいフレーバー(味もフレーバーとされる)の特徴として提唱したことは「少数の適切な強さの快いフレーバーのインパクト(例えばミカンなら甘味と酸味)が感じられること、高度にブレンドされた豊かなフレーバーが口いっぱいに広がること、突出した不快な特性がないこと、後味がよいこと」で、特に重要なのがブレンドで、殆どがどの物質によるか区別できないけれど多くの成分が存在することが感じられること、としている1)。ブレンドはアンプリチュードとも呼ばれている。

 日本語でそれに近い言葉としてはコクがある。コクは「濃く」にも通じ、穀物が熟した味や熟成した濃い酒から来ているという。筆者がかつてコクを表現する言葉を集めて分析した結果では、平均的に重要度の高いのは、深み、広がり、うま味、濃厚感、まろやかさ、複雑(単純でない)、厚み、インパクト、後に残る、その他の順であったが、食品の種類によって若干ニュアンスが異なった。

 タマネギの官能評価ではこれらの言葉や意識調査で出現した言葉を参照しながらほぼこれらの内容をカバーする言葉を用いて評価したのであるが、特にクリームコンポートではこれらの言葉によって微妙な味の違いを区別することができた。

「地味」の提唱:
 ここでは微妙な味という曖昧な表現をしてきたが、それを議論の対象にするには名称を与える必要がある。コクという言葉も近いがあまり野菜では用いられていないし食品によってニュアンスも異なる。昨年度行った大根などの評価では滋味という言葉を用いたが、これもすでに料理の書物でも用いられているので抵触する懼れもある。

 そこで、この味をより的確な名称が見つかるまで便宜のため仮に「地味」(じみ)と呼ぶことにする。地味(ちみ)は地質の良否の状態であるが、「じ」にアクセントをつけて呼べば滋味にも通じる。よい土壌を作る人は土を舐めてみる。野菜は大地や土のイメージとも直結する。地はgroundであり、基本的・本質的なものも意味する。また、地が出るというように生まれつきの性質を示す用法もある。野菜の味は果物のように華やかなものではなく、肉や魚の主菜に対してその味を引き立てる脇役を演ずるのが野菜本来の役目である。控え目でどのような食材とも適合し飽き難いものでなければならない。すなわち派手に対して地味であることも野菜の身上である。最近朝日新聞の天声人語に「里芋といふ極上の土を食ふ」(足立威宏)という俳句が引用されていたが、これらを総合して考えると地味という言葉は存外適しているように思われる。

 そこで改めてタマネギで示されたような、野菜の有する、甘味、苦味、酸味、えぐ味など明瞭な味とは異なる無数の微弱な微量成分によって引き起こされる、こく、広がり、濃厚感、複雑さ(単純でない)、深みがあり、まろやかで、微量成分や滋養がありそうでしっかりした味を地味ということにする。

 野性味は地味と関係はあるが、苦味やえぐ味も含まれ、荒削りで洗練されていないもので、原始の野菜に帰れば野性味も強すぎて食べられない。地味からは突出したものとして区別する必要がある。しかし上記のフレーバープロファイル法でも、全てが融和するよりもそこにインパクトのあるアクセントを加えることも魅力を増すとしている。山菜のほろ苦さやクワイのエグ味などの野性味はそれに相当するものである。

 上記のA.D.Littleのフレーバープロファイル法ではアンプリチュードを半円で示し、感じられる特性の大きさを円の中心から放射状にのびる直線の長さで示すが、同様な方法で模式的に示したのが図18である。野菜は通常塩味で調味して食され、あるいは油脂と共に食されるので点線で示した。右は地味が弱く、甘味が強く、野性味が少ない場合である。

うま味:
 微弱な味の中には特に重要な味が含まれていることに注意しなければならない。それは池田菊苗2)によって発見されたうま味である。通常の野菜に含まれているうま味物質はアミノ酸であるグルタミン酸とアスパラギン酸で、微量ではあるがこれらを多少とも含まない野菜はほとんどない。茸類には核酸系のうま味物質であるグアニル酸が含まれている。同じく核酸系のうま味物質であるイノシン酸は野菜には含まれず動物性食品に多く含まれ、鰹だしには特に多い。うま味は食品中では他の成分と融和して感じられるので、それ自身の味とは印象が異なる。それを色に喩えて示したのが図19である。黄色という色を見たことがない人が右の図を見て左の黄色を想像することは難しい。うま味それ自身は好ましい味ではなく他のアミノ酸等と共存し、特に食塩の味との共存することで好ましいと感じられる3)。アミノ酸系と核酸系うま味物質の間に特異的に著しい相乗作用がある4)。図20はうま味の相乗作用を模式的に示す。従って、野菜だけを食してもうま味そのもの識別は難しいが、出汁や他の素材と組み合わせて適切な味付けで料理したときには甘味化のところで述べるように、コク、広がり、深みなどとして明瞭に知覚される3)。従って、加熱料理する野菜を生で評価しても、こういったポテンシャルは見逃されることになる。
味覚の精妙さと地味:
 では地味を示す理化学的特性を探せばいいではないか、ということになるが、これは甘味や苦味のように単一の物質の味ではなく無数の微弱で曖昧な味の成分からなるものであり、成分間には相互作用もある。いかに分析技術が進んでも分析できるものは有限であり、またいかに多くの成分を分析してもそれを総合することはできない。人の感覚なればこそ無数の微量成分の微弱な味が醸し出す融和した状態をコクや地味という共通の言葉で捉えることができるのである。人は生存のために必要は無数の成分を摂取しなければならないが、食品からそれらをできるだけ合理的に識別するには、特別な成分以外の無数の成分のそれぞれの味はできるだけ弱く、必要な成分がバランスして存在するとき1つのまとまりとして、まろやかさ、広がり、深みなどを感じ、快いと感じられ、あるまじきものが突出して感じられるように進化の過程で神経系が構築されているものと考えられる。そのバランスした状態がコクであり、地味である。コクも地味も強ければ強いほどいいという訳ではなく、質と適度な強さが問題である。その味は場合によっては少数の成分で近似できることもあるかもしれないが、それは近似できないところは切り捨てるということである。地味を大切にするならば、地味を人間の感覚から安易に手放さないことが大切である。


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