第9章 野菜のおいしさに関する意識調査とタマネギの官能評価
味覚と食嗜好研究所 山口 静子
3 タマネギの官能評価

3.3 考察

3)甘味化
 野菜の甘味化について重要なことは、食経験の浅い人や野菜らしさにこだわりのない人の嗜好に合わせることによって野菜が甘味化に向かう可能性があることである。では地味と甘みはどちらを大切にすべきかということになる。そこで幾つかの具体例を挙げて参考に供したい。

野菜の甘味化の料理への影響:
 料理に用いられる野菜の地味が薄くなり甘味化することの影響を示唆する1例を示す。図21は牛すね肉とタマネギ、ニンジン、カブ、セロリなどの野菜を用いて半日をかけてとったブロスを用いた正式のフランス料理のビーフコンソメについて、それを2倍に薄めたものを対照として、薄めなかったもの(濃度は2倍)と比較した場合、および対照に対して1%の砂糖(隠し味程度の甘さ)を加えたものを比較した場合の結果である。食塩は同じ濃度に調製してある。評価者は食品会社の研究員である(n=25)。

 ブロスの濃度を高めたときは味が強いのみでなく濃厚感、こく、広がり、深みなどが一様に大きくなり、全体の味が調和し、おいしく感じられるが、甘味を加えたときは、こくや広がりは増さず、不調和で不味くなるだけである。これは図18の右図に相当し、コンソメに限らず料理一般にいえることで、野菜の地味が弱まり甘味だけが増せばそのときは野菜の量を増やしても甘みが妨げになる。

 因みに同じビーフコンソメにうま味物質であるグルタミン酸ナトリウム(MSG)を閾値程度の0.05%添加したときのプロファイルを図22に示す3)。野菜中のうま味物質の僅かな濃度差がいかに大きく貢献するものかが分かる。また甘味はうま味をマスクする味でもある。では野菜の地味がなくなってもグルタミン酸を加えればいいではないかというと、そうはいかない。元々のベースに地味があって、それと融和しなければうま味だけでは好ましさは生じない。また、この場合は牛すね肉由来のイノシン酸と相乗作用によってうま味が著しく増強されることも大きく寄与している。
甘味の過剰評価:
 甘味が主役の食品では甘味それ自身が快い味であるために、評価の際に甘味が強いものが過剰によいと判断される傾向があるので、注意が必要である。

 図23は市販の野菜果物ジュースとそれに砂糖を2.5%または5%添加したときの大学生男女371名による評価で、1人が1種類を50ml入りコップで1杯飲んだときの結果である。

 図中の*を付けた適正強度は0が丁度良く、+は強すぎる、−は弱すぎることを示す。砂糖を添加したものは明らかに強すぎ、爽やかさもなくなるが、砂糖を5%したものが最もおいしいとされている。これは甘味が快い味であるため、ジュースとしての評価よりも甘味の快さによって評価されてしまうためである。甘味は酸味をマスクするので甘味が強いほど酸味は弱くなるが、そこで酸味を加えれば酸度が上がりすぎ味も濃すぎて飲めないものになる。
 果物は甘過ぎるから酸味を強くしてほしいという意見も多かったが、単純に酸度を増せばいいのではなく、また甘味、酸味以外の地味を大切にしないと、どの果物も甘酸っぱいだけになる。

 このような評価結果の解釈には技術的な判断が必要であるが、それを誤ると必要以上に甘いものが作られることになる。果物の甘味化についても、多分に評価方法に問題があるものと思われる。

 図24はこのジュースを1杯飲んだ後と2杯飲んだ後であと何杯飲みたいかを尋ねたときの結果である。当然ながら砂糖の添加量が多いほど摂取量は減ることが示されている。味は適量摂取したときに最適になるようでなければならない。甘いものは糖として一度に体内に蓄えらないために飽きやすい。

 去る1月放映されたNHKの番組では、ミカンの消費量がかつての半分に減り、その理由として、女性がマニキュアのために皮を剥くのを嫌うことが挙げられ、そのために皮を剥いて食べやすくした商品も開発されているとされていた。そこまでしなければミカンは生き残れないとすればゆゆしき問題であるが、味の強さが摂取量に与える影響についても考慮する必要がある。

甘味と文化:
 わが国の古来の食嗜好は、色、味、香りともに自然を貴び、繊細で奥深いものをよしとしてきた。山菜の苦味やお茶の渋味などへの独特の嗜好も発達させてきた。嗜好の形成には後天的な学習が必要であり、それを避けて本能的な快や食べ易すさのみを追求するのは味覚の幼児化につながる。

4)本来の野菜らしさ、個性
 本来の野菜らしさには味、香り、風味、食感の全てが関わっているが、香りは特に野菜らしい特徴を支配している。意識調査では味と共に香りが薄くなり、本来の野菜らしさがなくなったことが指摘されているが、同じ野菜で地味と香りや食感が無関係なはずはない。濃香とはこまやかな香りをいう。無数の成分から成る香りは密度が高く蒸発しにくいが、成分が櫛のように欠けた薄っぺらな香りは野菜を切ったときは強くてもたちまち消え失せてしまう。香りもまた地味と同様に無限の成分からなるものである。また組織もしっかりしたものはある程度歯ごたえもあるのは当然である。しかし重要なことはそういった濃香や食感には嗜好が未形成の人と形成された人が対立した価値観を持つことである。その点については次のレビューの中で述べる。



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