第9章 野菜のおいしさに関する意識調査とタマネギの官能評価
味覚と食嗜好研究所 山口 静子
4 4年間の官能評価のレビュー

 ここまでを踏まえて4年間の主な結果をまとめる。

1 )野菜の消費者は常にその野菜を好む人とあまり好まない人の集団から成っており(キュウリ、ニンジン、ホウレンソウ、ナス)、また品質には「みずみずしい」と「水っぽい」、「やわらかい」と「歯ごたえがない」のように似て非なる紛らわしいものがあり、それに対しても鑑別能力の高い人と低い人の集団から成っている(キュウリ)。そして、その野菜をあまり好まない人は、その香りを好まず、野菜の特徴の弱いもの、あるいは、甘いもの、やわらかいもの、クセのないものを好み、好む人はその反対のものを好む傾向があり、またそれは品質鑑別能力とも関係していた。従って多数決原理を採用すれば、野菜らしさの強いものも弱いものも等価になるか、弱いものへと傾きやすい。野菜が好きでない人の嗜好に合わせれば野菜は限りなくその特徴や個性を失う方向に流れ、また鑑別能力のない集団に合わせれば品質は低下することになる。いずれの集団を対象にするかを分けて考えなければならないことが分かった5), 6)

2 )生と加熱調理したときでは全く評価が異なり、加熱調理することで野菜のポテンシャルが発揮され、生では差のないものでも大差を生じ、あるいは評価が逆転することが分かった(ニンジン、タマネギ)。とくに調理方法の影響が大きく、大根では揚げ煮とおかか煮、ニンジンでは市販コンソメと鰹だしでは評価が逆転した。ニンジンのグルタミン酸の濃度は0.014%と0.024%で前者は糖が若干高かったがグルタミン酸と鰹節中のイノシン酸と相乗作用を引き起こすためにうま味の差が拡大したと考えられたので、さらにグルタミン酸量が0.0157%のニンジンに僅か0.0033%のイノシン酸を添加したものと無添加を比較したところ有意に添加したものが好まれた。また添加した方を好んだ人はうま味の強さの識別ができたが、無添加を選んだ人は識別できなかった。

3 )昔ながらの伝統野菜として長ニンジンと一般のニンジンを評価したが、長ニンジンは糖、アミノ酸、ミネラルなどが多く味も香りも濃厚で明らかに地味が強かったが、クセが強いと感じられ平均的には低く評価された。しかし、ニンジンを好む人には高く評価された。ただしその人数は好まない人より少なかった。また、本三浦大根は通常の大根に比べてグルタミン酸やアミノ酸等には大差はなかったが、うま味、滋味が強くとくに煮汁での出汁感や味の密度が高く滋味は強かった。これは分析値以外の未知成分が多く含まれているためと考えられる。また、本三浦を選んだ人はうま味の強さに差を付けていたが、そうでないものを選んだ人には差がなかった。またそのときの本三浦には苦味があり、独特の軟らかさがあり、煮込みには適した独特の食感であったが、それを高く評価する人と違和感を持つ人に分かれた。もう一つの伝統野菜、大蔵大根についてはグルタミン酸、遊離アミノ酸、ミネラル含量も高く、クセもなく、うま味、滋味、いずれも高く明らかに高く評価された。伝統野菜は確かに地味が強いが特徴が強くクセがある場合には食べ慣れない人にとっては理解しがたい面もある。このような野菜を残すには食べ慣れた人の嗜好を大切にする必要がある。

4 )甘いキャベツに対しては嗜好が分かれた。また甘いキャベツを選ぶ人は他のキャベツの選択においても甘味の強い方を好み、甘みの強い方をうま味が強いとし、そうでない人はグルタミン酸が若干多い方の滋味やだし感、味の密度を高いとしていた。野菜を好まない人や甘い野菜を好む人は滋味やうま味の識別能力が低い傾向があることが複数の事例で見られた。

5 )そこでこのうま味の認知能力はどのように獲得されるか知るためにニンジンによるモデル実験を行った。それは生得的な味覚感度よりも、多くの特性の中で何に選択的注意を向けるかが重要であること、すなわち、うま味の連想につながる長期記憶が獲得されているか否かによることが分かった。獲得されていない人はニンジン臭さと甘味に選択的注意が向けられうま味には意識が向かなかった。このことは日頃うま味やそれを連想する出汁などに高い関心を持つことの重要性を示している7)

6 )消費者意識調査からは、味の稀薄化と本来の野菜らしさの喪失感が問題意識として浮き彫りにされた。そこで有機栽培と慣行品のタマネギを試料として野菜のオピニオンリーダーのグループで官能評価を行ったところ、無数の微量成分によって醸し出されるコク、深み、広がりなどで表現される、微量成分の豊かさと密度を示唆する味が大きく評価を分かつこと、またそれは食経験の豊かな高年者のみでなく、野菜に対して問題意識の高い人がより識別能力が高いことがわかった。これはこれまで行ってきた各種野菜の評価とも基本的に一致するものである。そして野菜は今将に野菜の好きな人とそうでない人のどちらに合わせるかによって、現状の流れに拍車をかけるか阻止するかの岐路に立っていることが構造的に明らかにされた。野菜の好きな人や食経験の長い鑑別能力の高い人が好む味を守り、かつ未経験で野菜を好まない人の嗜好も前者の嗜好に導く鍵はこの微量成分の味にあることがわかった。また、この味への感度を高めるには経験による長期記憶によってその味に対する選択的注意をむけることが大切であることもわかった。
 そこでこの味を「地味」と名付けおいしさの指標として提唱した。ただし、この味は通常の成分分析では説明できないものである。なぜならばそれは無数の成分からなるもので、人の意識に成立するものだからである。従って科学的に割り切れないものは科学的に指標化しないことの方が大切と思う。本来の野菜らしさの喪失も割り切れないものを閑却してきたことにあることがここで集めた多くの人々の意見からも窺える。ここで得られた成果は、個々の野菜の具体的な評価よりも、食べる人の嗜好と感覚特性の関係をマクロに捉え構造的に明らかにし、多数決原理からの脱却の必要性とそのための1つの着眼点を示唆できたことである。



5 官能評価について
 嗜好型官能評価という名目で評価を行ってきたが、必ずしも嗜好ではなく、評価者の主観に基づく評価を行ってきた。官能評価は味覚感度の優れた人が被験者となり、試料も同じ部位を切りそろえ、温度や照明を厳密にコントロールした仕切りのある官能評価ブースを用いて行うのが正式な方法と思われているが、こういった条件は実際に人が食べる場面や人の実態とはかけ離れていて現実的でない8)〜10)。ここではふつうの人がふつうに食べるときのできるだけ現実に近い自然な状態で評価するようにした。

 また、ここでの官能評価は人間を計測器の代わりとしてモノの特性を測るのが主でなく、モノを通して人の感覚を測るのが主である。この立場を明確にしておかないと、ここでの官能評価は理化学的方法によって妥当性が審判されるという階層序列が生じ独自性が保てないことになる。それはどんな結果でも官能評価が正しいという意味ではない。結果の妥当性の決め手が乏しいがゆえに、より高次の理性による批判に耐えられるものでなければならないということである。

 4年間に筆者の分担で行った官能評価は農大で15回(7品目、41品種、104試料)、フォーラムその他野菜関係者で3回(4品目、16品種、25試料)、評価者数は農大で延べ1,516名、その他で114名であった。また、ニンジンのアンケートでは農大、日大の学生447名、意識調査では283名+68名の方々に協力いただいた。

 実際に得られたデータは農大生の場合も、フォーラム参加者の場合もその目的からすれば筆者には想像以上に感度が高く、データの整合性から見て納得性のある示唆に富んだものであった。


6 おわりに
 野菜のおいしさを指標化することはそれを食する人の能力を指標化するのと同じで、筆者としては奮闘したけれど、おいしさを理化学的に指標化するという当初の目的に沿うことはできなかった。その代わりに、「地味」という人間の感覚や言葉でしか捉えられない指標を提案した。しかし、時代の流れからしても、これからの科学技術の進歩は、好むと好まざるとに拘わらず、野菜の開発・生産においても、おいしさの研究においても、バイオや脳科学などの先端技術によって科学的な指標を目指して進められていくに違いない。もし筆者も先端技術を駆使して、きゅうりやほうれん草の新規アク味成分の発見や地味のあるタマネギを高く評価した人の遺伝子解析などができたら、あるいはこのプロジェクトもさらに継続できたのではないかと思うと慚愧に堪えない。

 しかし烏が鵜の真似をするよりは古巣を守ることにしたのは、科学技術の急速な進歩に乗り遅れそうな人の嗜好や、ふるい落とされそうな野菜の言い分も残しておくべきと考えたからである。ここで行った官能評価はいうなれば手作り野菜のようなもので、先端技術とは180度違うローテクに徹し、大勢の人に自然な食べ方で感じたことを数字や言葉で答えてもらい、生の声もそのまま記した。いかに時代が変わっても変わらない人の食べ方や感じ方を素朴に捉えることこそが今の時代には重要と考えたからである。得られたデータは今将に野菜が失ってはならないものを生産者も消費者もはっきり自覚すべきときに来ていることを示している。

 多くの方々のご支援ご協力のもとに、野菜のおいしさの基本特性である1つのキーワード「地味」を浮き彫りにできたことを深く感謝すると共に、この言葉が生き物であり命を捧げてくれる野菜を愛する人達の合い言葉となって広がることにより、野菜が本来の野菜らしさを指向しよりおいしくなることを期待する。


文献
  1. Sjostrom IB: Effect of glutamate on the flavor and foods. Monograph of a
    second symposium on monosodium glutamate. Research and Development
    Associates Food and Container Institute, Inc. Chicago(1955)
  2. 池田菊苗:新調味料に就いて.東京化学会誌,30,820-836(1908)
  3. 山口静子:うま味の基本特性とおいしさへの寄与.日本味と匂誌,15,145-158(2008)
  4. 國中明:核酸関連化合物の呈味作用に関する研究、日農化誌34,489-492(1960)
  5. 山口静子,鈴木康司,近藤 宏,大澤敬之:野菜のおいしさと評価者の認知・嗜好行動.日本味と匂誌,14,427-430(2007)
  6. 山口静子:官能評価から野菜のおいしさを考える.日本醸造協会誌,103,163-171(2008)
  7. 山口静子,鈴木康司:うま味の概念形成と識別認知プロセス.日本味と匂誌,15,489-492(2008)
  8. 山口静子:官能評価の信用性に関する一考察.日本調理科学会誌,42,1-8(2009)
  9. 山口静子:官能評価の現代的役割と責任,日本官能評価学会誌,13,3-8(2009)
  10. 山口静子:味覚と食品嗜好-おいしさの評価についての省察-,The Food Lobby,大阪35周年記念号 食品工業倶楽部,26-29(2009)


謝辞
 官能評価および意識調査実施に当たりご支援いただいた事務局の深川純衣氏、また官能評価実験に際しご支援ご協力を戴いた、荒井慶子先生、川村玲子先生、上原悠子先生、城戸我夜子先生、実験やデータのまとめに協力戴いた本多恵津子氏、アンケート調査の配付に協力いただいた細淵久美恵氏、川村万紀恵氏、丸山ひろ子氏、菅野幸子氏、回答にご協力いただい大勢の方々、官能評価に粘り強くご協力戴いた方々に深く感謝致します。


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