ここまでを踏まえて4年間の主な結果をまとめる。
1 )野菜の消費者は常にその野菜を好む人とあまり好まない人の集団から成っており(キュウリ、ニンジン、ホウレンソウ、ナス)、また品質には「みずみずしい」と「水っぽい」、「やわらかい」と「歯ごたえがない」のように似て非なる紛らわしいものがあり、それに対しても鑑別能力の高い人と低い人の集団から成っている(キュウリ)。そして、その野菜をあまり好まない人は、その香りを好まず、野菜の特徴の弱いもの、あるいは、甘いもの、やわらかいもの、クセのないものを好み、好む人はその反対のものを好む傾向があり、またそれは品質鑑別能力とも関係していた。従って多数決原理を採用すれば、野菜らしさの強いものも弱いものも等価になるか、弱いものへと傾きやすい。野菜が好きでない人の嗜好に合わせれば野菜は限りなくその特徴や個性を失う方向に流れ、また鑑別能力のない集団に合わせれば品質は低下することになる。いずれの集団を対象にするかを分けて考えなければならないことが分かった5),
6)。
2 )生と加熱調理したときでは全く評価が異なり、加熱調理することで野菜のポテンシャルが発揮され、生では差のないものでも大差を生じ、あるいは評価が逆転することが分かった(ニンジン、タマネギ)。とくに調理方法の影響が大きく、大根では揚げ煮とおかか煮、ニンジンでは市販コンソメと鰹だしでは評価が逆転した。ニンジンのグルタミン酸の濃度は0.014%と0.024%で前者は糖が若干高かったがグルタミン酸と鰹節中のイノシン酸と相乗作用を引き起こすためにうま味の差が拡大したと考えられたので、さらにグルタミン酸量が0.0157%のニンジンに僅か0.0033%のイノシン酸を添加したものと無添加を比較したところ有意に添加したものが好まれた。また添加した方を好んだ人はうま味の強さの識別ができたが、無添加を選んだ人は識別できなかった。
3 )昔ながらの伝統野菜として長ニンジンと一般のニンジンを評価したが、長ニンジンは糖、アミノ酸、ミネラルなどが多く味も香りも濃厚で明らかに地味が強かったが、クセが強いと感じられ平均的には低く評価された。しかし、ニンジンを好む人には高く評価された。ただしその人数は好まない人より少なかった。また、本三浦大根は通常の大根に比べてグルタミン酸やアミノ酸等には大差はなかったが、うま味、滋味が強くとくに煮汁での出汁感や味の密度が高く滋味は強かった。これは分析値以外の未知成分が多く含まれているためと考えられる。また、本三浦を選んだ人はうま味の強さに差を付けていたが、そうでないものを選んだ人には差がなかった。またそのときの本三浦には苦味があり、独特の軟らかさがあり、煮込みには適した独特の食感であったが、それを高く評価する人と違和感を持つ人に分かれた。もう一つの伝統野菜、大蔵大根についてはグルタミン酸、遊離アミノ酸、ミネラル含量も高く、クセもなく、うま味、滋味、いずれも高く明らかに高く評価された。伝統野菜は確かに地味が強いが特徴が強くクセがある場合には食べ慣れない人にとっては理解しがたい面もある。このような野菜を残すには食べ慣れた人の嗜好を大切にする必要がある。
4 )甘いキャベツに対しては嗜好が分かれた。また甘いキャベツを選ぶ人は他のキャベツの選択においても甘味の強い方を好み、甘みの強い方をうま味が強いとし、そうでない人はグルタミン酸が若干多い方の滋味やだし感、味の密度を高いとしていた。野菜を好まない人や甘い野菜を好む人は滋味やうま味の識別能力が低い傾向があることが複数の事例で見られた。
5 )そこでこのうま味の認知能力はどのように獲得されるか知るためにニンジンによるモデル実験を行った。それは生得的な味覚感度よりも、多くの特性の中で何に選択的注意を向けるかが重要であること、すなわち、うま味の連想につながる長期記憶が獲得されているか否かによることが分かった。獲得されていない人はニンジン臭さと甘味に選択的注意が向けられうま味には意識が向かなかった。このことは日頃うま味やそれを連想する出汁などに高い関心を持つことの重要性を示している7)。
6 )消費者意識調査からは、味の稀薄化と本来の野菜らしさの喪失感が問題意識として浮き彫りにされた。そこで有機栽培と慣行品のタマネギを試料として野菜のオピニオンリーダーのグループで官能評価を行ったところ、無数の微量成分によって醸し出されるコク、深み、広がりなどで表現される、微量成分の豊かさと密度を示唆する味が大きく評価を分かつこと、またそれは食経験の豊かな高年者のみでなく、野菜に対して問題意識の高い人がより識別能力が高いことがわかった。これはこれまで行ってきた各種野菜の評価とも基本的に一致するものである。そして野菜は今将に野菜の好きな人とそうでない人のどちらに合わせるかによって、現状の流れに拍車をかけるか阻止するかの岐路に立っていることが構造的に明らかにされた。野菜の好きな人や食経験の長い鑑別能力の高い人が好む味を守り、かつ未経験で野菜を好まない人の嗜好も前者の嗜好に導く鍵はこの微量成分の味にあることがわかった。また、この味への感度を高めるには経験による長期記憶によってその味に対する選択的注意をむけることが大切であることもわかった。
そこでこの味を「地味」と名付けおいしさの指標として提唱した。ただし、この味は通常の成分分析では説明できないものである。なぜならばそれは無数の成分からなるもので、人の意識に成立するものだからである。従って科学的に割り切れないものは科学的に指標化しないことの方が大切と思う。本来の野菜らしさの喪失も割り切れないものを閑却してきたことにあることがここで集めた多くの人々の意見からも窺える。ここで得られた成果は、個々の野菜の具体的な評価よりも、食べる人の嗜好と感覚特性の関係をマクロに捉え構造的に明らかにし、多数決原理からの脱却の必要性とそのための1つの着眼点を示唆できたことである。
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