◆武庫一寸空豆、富松一寸空豆 <マメ科>
一寸空豆の起源は天平8年にさかのぼるとされる。聖武天皇の時代、インドの僧侶が中国を経て来日した際に行基上人が摂津の難波津に出迎えた。この時に僧が「王墳豆」を上人に与えて栽培をすすめ、上人は摂津の武庫村(現尼崎市武庫)の岡治氏に試作させたのが「一寸空豆」の起源。戦前、この地は全国有数の産地となり、昭和30年頃には約30haが作付けされ、重要なたんぱく質供給源になっていたが、昭和35年頃をピークに農地が減少し、近年は自家消費用にわずかに栽培されている状況だった。
一寸空豆は一般には於多福と呼ばれたが、武庫一寸の他、地名を冠して同種異名の富松一寸、尼一寸などがある。
富松神社では、歴史的にも貴重な財産である一寸空豆をよみがえらせ、次世代に伝えていくこと、また地域の活性化をはかるために、「富松一寸豆祭」が行われている。また平成9年には地域の農家を中心に「富松豆保存研究会」が発足、富松一寸空豆の復活に取り組んでいる。
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